【永久保存版】ニヴフ族の文化 Part1 ニヴフの衣食住とは?伝統衣装、伝統料理、漁撈・狩猟、犬橇(YouTube動画の復習用)

アイヌ語 ニヴフ語 ロシア語 外国語学習

※本ブログページは私のYouTube動画の復習用のテキスト版です。
必要に応じて動画本編をご覧下さい。

導入

Касказиве!(ニヴフ語:こんにちは)
こんにちは!理系の言語オタク日向です。
今回は「ニヴフ族の衣食住」について徹底解説します。
本動画はニヴフ族の永久保存版解説シリーズとして、複数本に分けた動画の文化編Part1です。

ニヴフ族とはロシアの極東にあるアムール川流域とサハリン北部に暮らす民族集団です。
2020年の国勢調査では約3,800人がニヴフ族と自認しています。
北海道を中心として居住しているアイヌ民族の地域とは約2000年ほど隣接していました。
そのため、両者が比較されることが多いのですが、言語系統や文化的にも全く異なる民族系統です。
とは言え、現在の日本では二ヴフ族についての情報が圧倒的に少ない状況です。
そこで本動画ではニヴフ族の衣食住に焦点を当てることにし、過去から現在も続いている彼らの衣服、料理などをご紹介します。
最後までご覧いただれば、皆様にも馴染みのある”あの動物”が彼らの生活を長年支えていたことをご理解いただけるはずです。

ニヴフ族の永久保存版解説シリーズの内容は今後投稿予定も含めると以下の通りです。
特に公開済みのニヴフ族の歴史編の内容も少し関係しますので、未視聴の場合は合わせて御覧ください。

【ニヴフ族の永久保存版解説シリーズ】

◯ニヴフ族解説シリーズ 歴史編
・内容
流鬼の正体、ギリヤーク族、多民族社会の形成

・得られること
ニヴフやアイヌの関係を事実に基づいて理解できる
▷アイヌ語の成り立ち解明シリーズを補完

◯ニヴフ族解説シリーズ 文化編
・内容
Part1 衣食住
Part2 芸術・信仰・儀式
Part3 オホーツク文化

・得られること
日本語では入手しにく情報を元に体系的に文化を理解できる
▷漫画「ゴールデンカムイ」に登場するようなニヴフ族の濃い話も聞ける

◯ニヴフ族解説シリーズ 言語編
・内容
ニヴフ語の特徴、学び方、自己紹介の表現

・得られること
ニヴフ語の具体的な学び方を知ることができる
▷無料で使える教科書やアプリを紹介

さて、ニヴフ族の衣食住について日本語で調査すると、その多くが過去の記録に焦点が当たっています。
普通に調べると、以下のような3つのサイトが見つかると思います。

◯日本語で得られるニヴフ文化の情報源
 
Wikipedia - ニヴフ
 
北海道立北方民族博物館の資料
 
国立民族学博物館学術情報リポジトリ(みんぱくリポジトリ)

しかし、これらは専門的過ぎて前提知識が必要であるほか、過去から現在も続いている文化を把握するには不便です。
このような背景には、現代のニヴフ族がロシア語で情報発信しているのに対し、それを自ら調べ精査できる人が少ないことが考えられます。

そこで理系の言語オタクである私の出番です!
ロシア語や英語などの多言語のスキルを駆使して徹底的に調べ、記録の残る17世紀以降の彼らの衣食住について体系的に理解できるように整理しました。
また記録や先行研究が不十分な部分については独自に追加研究を行いました。
このような徹底解説動画は見当たらないため、世界初の試みと言えるでしょう。
最後までご覧いただければ、あなたもニヴフ族の衣食住にかなり詳しくなれるはずです。

なお、私はいずれの分野の専門家ではありません。
もし間違いや補足などがありましたら、コメントで教えてもらえると幸いです。
興味深いと感じていただけた方はコメント欄やラボトークでぜひ語りましょう!

チャンネル紹介

本題に入る前にチャンネルの紹介です。
70言語以上勉強中の言語オタクが理系的発想×語学ミニマリストの観点でマルチリンガルになるための手法を発信しています。
また世界の民族や文化、その歴史についても紹介しています。

言語解説ロシア語、ウクライナ語、フランス語、タイ語、トルコ語、アラビア語 etc
発音解説ネイティヴ発音習得、巻き舌
勉強法、コツ多言語学習、語学アプリ紹介、ChatGPT
言語の成り立ち解明アイヌ語、日本語、韓国語

そんな私の夢は「全人類をマルチリンガル」にすることです。
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目次:ニヴフ族の衣食住

  1. 過去と現在の衣類
  2. 食材、伝統料理
  3. 伝統住居
  4. 漁撈、狩猟
  5. 犬と犬橇
◯ニヴフ語の表記
・辞書等を参考に正確な表記を反映
ロシア文字を使った転写ではなく、ニヴフ語で表記している
文法の理解不足に伴う、単語の誤りを修正した

・方言の区別
サハリン方言とアムール方言が存在するが、区別していない論文なども多く存在する
本動画では主にサハリン方言に統一した

ニヴフ族の服装

https://news.kmnsoyuz.ru/news/19590

現代のニヴフ族は普段着として洋服を着ています。
ここからは過去から現代に至る様々な伝統衣服などを見ていきましょう!

ローブ

まず、ニヴフ族を代表するローブについてご紹介します。
ニヴフ語ではローブの総称をӿухт フフトゥ と呼ぶようです。
このローブはロシア語でхалат ハラートゥ「ローブ、ガウン」と訳されています。

ローブの種類をまとめると、下の表のようになります。
2026年8月時点のWikipediaには正しい綴りや服の種類が明記されていないので、この表のほうが正確な情報です。

サハリン読みアムール読み意味
ӿухтフフトゥӿухтフフトゥ男女兼用のローブの総称、装飾されたローブ
лар̌ӄラシュクларӄラルク男女兼用ローブ、軽いローブ、
一枚仕立ての男性用の短いローブ、
男性用のシャツや女性用のドレス
cикыスィキゥcикыスィキゥ裾に切り込みのある布地製の男性用の短いローブ
выскылヴゥスキゥルвысклヴゥスクル魚皮衣
чуркチュルクчуркチュルク装飾を施した女性用の魚皮衣

男性用か女性用か、装飾の有無、素材などで呼び方が変わるようです。

https://share.google/yPdLuAgUUeWwtUXSV

https://www.calameo.com/read/006606290e730c8f827ac

https://djvu.online/file/wZc0a0nsaEfAX?ysclid=m8u7bxs47i691304845

伝統的なローブ

現在のニヴフ族は行事の際に装飾の施された伝統的なローブを着ています。
下の画像のローブはおそらくлар̌ӄ ラシュクと呼ばれるものです。

◯ニヴフ族の伝統的なローブ
・特徴
襟や袖に装飾が施されることもある
男性用より女性用は丈が長い

・名称
サハリン:лар̌ӄ ラシュク
アムール:ларӄ ラルク

これらは現代の素材を使っているため、色も鮮やかで装飾も華やかに見えますね。
今はニヴフ族のデザイナーも存在し、ニヴフ文様を取り入れたよりモダンなものもあるようです。

また女性用のローブに比べ、男性用は丈が短いという特徴があります。
以下の画像で男女での服の丈が異なるということが実際に確認できますね。

この画像の中で、男性が着ていたローブを見ると、丈が短く、裾に切り込みがあります。
この特徴から男性用の лар̌ӄ ラシュク や男性用のローブ cикы スィキゥ に該当するものだと推測します。
もし詳しい方がいらっしゃれば、コメントで補足情報をお待ちしております。

https://nasledie.digital/articles/narody-mira-nivhi-i-ajny/

https://indigen.libsakh.ru/virtualnyi-spravochnik/nivkhi/materialnaja-kultura/odezhda

https://arctic-megapedia.com/blog/2020/12/06/odezhda-nivhov/

https://news.kmnsoyuz.ru/news/19590

魚皮衣

先ほどご紹介した現代のローブは布地で作られていますが、歴史的にはサケ類などの魚の皮で作られていました。
それを専門用語で魚皮衣(ぎょひい)と呼びます。

彼らはサケなどを捕まえ、肉は食用にしたほか、その皮を加工することで服の素材として活用していました。
特徴として非常に軽く、丈夫であることから、室内着や作業着としても使われていました。
18世紀時点の記録では、ニヴフ族だけでなく、ツングース系の民族やアイヌ民族などにも広く使われていたようです。
現在では主に女性の職人たちによって、魚皮を使った伝統工芸品が制作されているそうです。

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/371099?page=2&query=Нивх&index=94

https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/495448

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_modart.html

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_decoart.html

毛皮のコート

冬期のサハリンは極寒になりますので、コートが必要不可欠です。
毛皮のコートはоӄ オクと呼ばれ、下の画像は犬の毛皮を使ったものです。
冬期には前述のローブなどを何枚も重ね着し、その上に毛皮のコートを着用したそうです。

◯ニヴフ族のコート
・特徴
冬期に使用する

・素材
犬やキツネなどの毛皮

・名称
サハリン・アムール:оӄ オク

実は、コートに用いられる毛皮は、その民族が飼育している動物の種類によって違いが見られます。
具体的にはニヴフ族は犬を、隣接しているツングース系の民族はトナカイを用います。
今後、この毛皮の素材に注目して古い写真や博物館の資料を見てみると、各民族の特徴をより正確に捉えることができるでしょう。

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/111655?page=4&query=нивх&index=156

https://indigen.libsakh.ru/virtualnyi-spravochnik/nivkhi/materialnaja-kultura/odezhda

https://arctic-megapedia.com/blog/2020/12/06/odezhda-nivhov/

帽子

次はニヴフ族の帽子(ӿаӄ ハク)を見てみましょう!
これは白樺の樹皮などで作られ、服にもあったようなニヴフの文様があしらわれています。

◯ニヴフ族の帽子
・特徴
夏期に男性が使用する

・素材
白樺の樹皮や柳の枝

・名称
サハリン・アムール:ӿаӄ ハク

かつては夏期に男性が使用していたと記載があります。
これは主に男性が屋外での作業を行うことに関係しているのと思われます。
ただし、現在では行事などで女性が身につけている写真もありました。

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/138518?page=7&query=нивх&index=303

https://indigen.libsakh.ru/virtualnyi-spravochnik/nivkhi/materialnaja-kultura/odezhda

https://arctic-megapedia.com/blog/2020/12/06/odezhda-nivhov/

アザラシの皮で作られるスカート

興味深い服にアザラシの皮で作ったスカート(қʼоскаң コスカング)があります。
スカートと翻訳されますが、狩猟などの際に身に付ける作業着の一種なので、
日本でいう業務用の前掛けや業務用エプロンが一番近い存在だと思います。

◯ニヴフ族のスカート
・特徴
冬期に用いられ、上着の上に着る
海での狩猟中や氷雪上で座る際に毛皮のコートが痛むのを防ぐ

・素材
アザラシの皮

・名称
サハリン:ӄʼоскаӈ コスカング ӄʼосӄӈ コスクング
アムール:ӄ’осӄ コスク

当時、狩猟は男性の役割だったため、この服は男性専用でした。
では、なぜこのスカートの素材にアザラシの皮が使われたのでしょうか?
実はアザラシの皮は撥水性があるため、着用することで、雪や海水による傷みを防ぐ効果があります。
つまり、冬期の雪や海辺において活動するのに欠かせないものだったと言えますね。

https://arctic-megapedia.com/blog/2020/12/06/odezhda-nivhov/

https://multiurok.ru/index.php/files/kul-tura-koriennykh-narodov-sakhalina-i-kuril-naro.html

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/371283?query=нивх шуба&index=5

最後はかつて使われていた靴を見てみましょう!
ニヴフ族は一年中、靴(ки キ)を着用していました。

冬期には「本当の靴」という意味を持つ、アザラシの皮で作られた靴(мағр̆ки マグシュキ)を使っていました。
スカートと同じく、アザラシの皮を使うことで、水の侵入や凍傷などを防ぐ役割があったのかもしれませんね。

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/587543?query=нивх обувь&index=33
◯参考サイト

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_decoart.html

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_matcult.html

https://indigen.libsakh.ru/virtualnyi-spravochnik/nivkhi/materialnaja-kultura/odezhda

食材、食べ方、伝統料理

https://atlaskmns.ru/page/ru/lang_nivhi_sahalin_all.html

次はニヴフ族のかつての代表的な食材、その食べ方や伝統料理を見ていきましょう!

かつての食材

ニヴフ族の食文化には、サハリンやアムール川流域ならではの食材が数多く見られます。
以下の表にかつての代表的な食材をまとめました。
この中には現在も使われている食材も含まれています。

種類食材
サケ類シロザケ、カラフトマス、イトウ
海水魚タラ類(タラ、コマイ)、ニシン目(ニジン、ワカサギ)、ハゼ、ヒラメ
淡水魚ワカサギ、ウグイ、カワカマス、チョウザメ
海獣類アザラシ類(ゴマフアザラシ、ワモンアザラシ、クラカケアザラシ)、
アシカ、トド、イルカ類(シロイルカなど)
陸上動物と鳥類トナカイ、シカ、クマ、犬、カモメ、カモ
植物行者ニンニク、フキ、イラクサ、粟、ベリー類、ハマナス、百合根、木の実
その他採集物昆布、地衣類、貝類

注目すべき点は魚や海獣類などの動物性タンパク質中心の食生活だったことです。
なお、昔のニヴフ族は魚が主食だったと言われており、穀物を主食とする習慣はなかったと記録されています。
その後、ロシア人の入植後、主に19世紀頃から現在のようなパン食や小麦の利用が定着しました。

現在では、狩猟採集を行わなくなったことや法律上の規制もあり、イルカやトドを食べる習慣はなくなりました。
ただし、行事の際には、アザラシやベリー類、行者ニンニクを使った料理が振る舞われることもあります。
以上がかつての食材の紹介でした。
ここからは、それぞれの食材の食べ方や伝統料理について順番に見ていきましょう!

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_matcult.html

https://rep.herzen.spb.ru/publication/432

https://nazaccent.ru/nations/nivh/

アザラシの食べ方と伝統料理

自給自足を行っていた時代にはアザラシ肉が日常的に食べられていました。
現在でも祭りや伝統行事でアザラシ肉を茹でたり焼いたりした料理が振る舞われます。
また、小腸を茹でて食べる料理もあったようです。

かつては心臓、腎臓、ヒレを生で食べていたそうです。
しかし、なぜそれらを生で食べていたのでしょうか?
その理由は、十分なビタミンや栄養素を摂取する必要があるからです。
サハリンでは冬になると、ビタミンを十分に補うための植物が手に入りにくい環境です。
ビタミンCを例に挙げると、熱に弱いため、加熱せずに食べるほうが効率よく摂取できます。
そのため、ビタミンなどの栄養素を多く含む心臓や腎臓を生で食べていたと考えられています。
こうした生食の習慣はシベリアのネネツ族や北米のイヌイットにも見られ、壊血病にならないという事実も、その有効性を裏付けています。

http://sakhalin-museums.ru/news/14046/

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_matcult.html

https://dzen.ru/a/Xe9aLHTxvACy2aId

https://kmns.ru/blog/2018/05/22/pochemu-nency-ne-stradajut-ot-cingi/

https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7033983/

具体的な料理名と作り方は次の通りで、意外と簡素です。

◯ニヴフ族のアザラシ料理

・е лаӈр̌ тур̌  エ ラングシュ トゥシュ「茹でアザラシ肉」
アザラシの肉(лаӈр̌ рур̌)と脂身を大きめに切り、塩を加えて30分茹でる
茹でた肉を水洗いし、塩水に漬けた胡椒と行者ニンニクを添える

・р̌а рур̌  シャ ルシュ(サハリン)/ р̌а рюс シャ ルュス (アムール)「焼き肉」
アザラシの薄い脂身のついた肉を小さく切り、串に刺して火で焼いたもの
胡椒の効いた漬け汁、行者ニンニク、玉ねぎを添えて出す

さらにアザラシは肉だけでなく、脂肪もニヴフ料理に欠かせない伝統食材の一つです。
ただし、これはそのまま食べるというより、バターや小麦粉のような具材の一つとして使います。

◯アザラシの脂肪
・ニヴフ伝統料理に欠かせない食材
・アザラシの体脂肪は50%以上
・DHA、EPAなどが魚よりも豊富
・植物油と同等のカロリー(900kcal/100g)

この脂肪には生活習慣病の改善に効果的とされるDHAなどが豊富に含まれています。
また寒い環境で活動するために必要なカロリーを補う上でも重要な役割を果たしていたと考えられます。

https://www.ecochil.net/article/7555/

https://kenko.sl-creations.co.jp/column/column60.html

https://food-nutrition.canada.ca/cnf-fce/report-rapport

(昔)犬の食べ方

次の食材は犬肉です!
これは現在では食べられていません。
記録によると、犬肉はニヴフ族の住んでいた広い地域で消費されていました。
働けなくなった老犬に餌を与えて太らせてから、その肉を食べたそうです。
主に茹でて食べられましたが、汁物には使われなかったそうです。

また、彼らには「熊祭り」と呼ばれる儀式がありました。
これは神聖な存在である熊を迎え入れ、天国へ丁重に送り返すという儀式です。
その中で犬が生贄として捧げられ、その肉を食すこともあったようです。

このような犬を食べる習慣は、ツングース系の民族やアイヌ民族には見られないため、ニヴフの食文化の特徴の一つだったと考えられます。

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_matcult.html

https://astv.ru/club/blog/sahalinskiy-parizh-blog-grigoriya-smekalova/JIXK3meJlE2s7Nwihq1WKw

魚料理

次は魚料理について見ていきましょう。
鮮魚は主に茹でて食べ、冬期に向けて長期保存のために干す、塩漬け、燻製、冷凍がされました。
ヒラメ、ウグイ、イトウなどは生食し、特に細かく刻んだものが好まれてたようです。

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_matcult.html

https://rep.herzen.spb.ru/publication/432

https://sakh-virtualmuseum.ru/category/nivhi/kukhnya-nivhi

民族を代表する保存食として、サケ・マスを干して塩漬けにして干物があります。
これはマ(ニヴフ語 ма)と呼ばれ、北海道の「鮭とば」のようなものです。

◯マ(ニヴフ語 ма)
・サケやマスを干して塩漬けにした保存食
頭や骨の部位は犬の餌にした
そのまま食べるほか、料理の具材にもなる

・ほかの名称
ロシア語 юкола ユコラ

この干物は非常に重要な加工食品で、大量に生産していました。
加工する際に残る骨や食べにくい部位は冬期の犬の餌にしていました。

https://arctic-megapedia.com/blog/2020/12/06/pishha-nivhov/

この干物はそのまま食べるほか、以下のような料理の具材として使います。

◯魚の干物を使ったニヴフ料理

・яӄ ма ヤク マ「切り干し魚」
湯に浸したマを細切りにし、行者ニンニク、アザラシの脂、塩水を和えたもの

・р̌а ма シャ マ「焼き干し魚」
皮付きのマを炙り、焦げた鱗を削り取り、熱いうちに細切りにしたもの

・е ма エ マ「茹で干し魚」
マを茹で、水、塩、行者ニンニクで出汁を作る
この出汁は茹でたマとは別に、小さなカップで出す

・ӿир ма ヒル マ「浸し干し魚」
湯に浸したマを細切りにし、行者ニンニクとコショウ、塩を和えたもの

・вығма ヴゥグマ「潰し干し魚」
潰した・砕いたマをアザラシの脂肪と混ぜ、砂糖をまぶしたもの

※вығ маではなく、вығмаとしているのは辞書上、一つの単語として存在しているため

この料理の種類の豊富さから分かるように魚の干物が欠かせない食材だったようですね。

https://mnogolikiy.ru/novosti/nivkhi-osobennosti-natsionalnoy-kukhni/

https://rep.herzen.spb.ru/publication/432

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_matcult.html

https://infourok.ru/issledovatelskaya-rabota-izuchenie-blyud-tradicionnoj-kuhni-korennogo-malochislennogo-naroda-severa-nivhov-7271016.html

タルク

魚は干す以外にも凍らせて食べることもあります。
それがタルク(ニヴフ語 талӄ)です。

◯タルク(ニヴフ語 талӄ)
冷凍した魚の薄切り

・他の名称
アイヌ語 ruipe ルイペ
ロシア語 строганина ストロガニーナ

これは冷凍した魚を薄切りにしたもので、解凍せずそのまま食べます。
凍らせて長期保存できるという利点のほか、アニサキスなどの寄生虫を凍らせて殺す効果もあります。
このような料理は北方民族料理で広く見られ、ロシアではстроганина ストロガニーナと呼ばれます。
日本ではルイベが該当し、これはアイヌ料理のruipe ルイペに由来する料理です。

https://ru.wikipedia.org/wiki/Строганина

野草を使った料理

次は食材に使われた植物をニヴフ語の名称とともにご紹介します。
単語を知っておくと料理名や具材が理解しやすくなります。
彼らは野生の植物やベリー類を採集し、生食または茹でて食べていたそうです。

ニヴフ語読み意味
таӈвыӈタングヴゥング(サハリン) 行者ニンニク、野生のニンニク
ӿаӻиハギ(アムール)行者ニンニク、野生のニンニク
ағр̌アグシュアキタブキ(ラワンブキ)やその茎
п’ир̌кур̌ピシュクシュアキタブキ(ラワンブキ)、そのフキノトウ(蕾)を生で食べた
ӄар̌ӄカシュククロユリなどのユリ一種、百合根を食べた
норӄノルクエゾスカシユリなどのユリの一種、百合根を食べた
илыイルゥ野生のエゾネギ
ӿискヒスクエゾイラクサの一種
тыкテゥクシラカバの樹内皮、形成層
※表記はなるべくサハリン方言に従っているが、アムール方言とは単語や綴りが違うものもあるため注意
※行者ニンニクはロシア語ではクマニンニクやラムソンと訳されているが、それらはヨーロッパに自生しているもので本種とはやや異なる
※アキタブキはロシア語だとбелокопытник японский「アキタブキ」やБелокопытниклопух「フキ属」と正確に訳せるが、サハリンのロシア語ではлопух「ゴボウ」やпучок「(草の)束」と呼ばれている。アイヌ語ではruwekina「フキ」と言う。

上の表の中でも、特に行者ニンニクが多くの料理で具材や付け合せとして見られます。

◯ニヴフ族の野草を使った料理

・е ӿағи エ ハギ(アムール)「茹で行者ニンニク」
行者ニンニク(ӿағи)の葉を茹で水を切ったものにアザラシの脂で煮込み、茹でた魚とともに盛り付けたもの

・ӄар̌ӄ мос カシュク モス「百合根モス」
挽いた百合根(ӄар̌ӄ)、アザラシの脂肪、ベリーを混ぜ合わせ、食用の白い粘土を浸した水で薄めたもの

・ӄар̌ӄ ҳоланд カシュク ホランドゥ「百合根デザート」
百合根(ӄар̌ӄ)、豆や木の実、干した魚、アザラシの脂肪と一緒にサラダにしたもの

日本にも馴染み深いものとしては百合根料理があります。
ただし、今は百合根を穫ることが無くなったので、その代わりにジャガイモが使われるようです。

食用植物にはほかにも多種多様なベリー類があります。
これらは日本にも同じような品種が北海道や東北の地域、または高山に自生しているようです。

ニヴフ語読み意味
алр̌アルシュベリー類の総称、コケモモやツルコケモモ(クランベリーの一種)
чариチャリクロマメノキ(ブルーベリーの一種)
эрӈиエルンギホロムイイチゴ(クラウドベリーの一種)
ығыхゥグゥフガンコウラン(クロウベリーの一種)
чымғиチゥムギクロウスゴ(ブルーベリーの一種)
тевиティエヴィハマナス(ローズヒップ)

ちなみに食用植物の名称と正確な日本語訳を調べるのに非常に多くの時間を要しました。
初めはロシア語の論文やニヴフ語の辞書で賢明に調べていましたが、
植生の関係か、意外にも日本の研究ほうが充実していることが分かりました。
参考資料を動画概要欄にあるブログに掲載していますので、興味のある人はご覧下さい。

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_matcult.html

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_life.html

https://rep.herzen.spb.ru/publication/432

https://sakhalin.tours/node/3024

https://www.calameo.com/read/006606290e730c8f827ac

https://researchmap.jp/mofu-mizushima/misc/15140524

https://researchmap.jp/mofu-mizushima/misc/51835222

https://researchmap.jp/mofu-mizushima/misc/14915281

https://researchmap.jp/mofu-mizushima/misc/15140854

https://researchmap.jp/mofu-mizushima/misc/18667111

https://researchmap.jp/mofu-mizushima/misc/18667112

https://ethnomuseum.ru/files/PDF/Library/Korni/korni-rem.pdf

https://ru.wikipedia.org/wiki/Белокопытник_японский

ムヴィ

前述のベリー類を使った名物料理を3つご紹介します。
1つ目はムヴィ(ニヴフ語 муви)です。
マッシュポテトにツルコケモモとアザラシの脂を加えた料理です。

現在はジャガイモを使っていますが、伝統的なレシピでは百合根を使うとされています。

https://dzen.ru/a/YadEiAqIG2etxvBa

https://ujnosahalinsk.bezformata.com/listnews/nivhi-rasskazali-kak-prigotovit/91659936/

モス

2つ目はモス(ニヴフ語 мос)です。
これはコケモモなどのベリー類、魚皮のコラーゲン、アザラシの脂から作るゼリーのおやつです。

漫画で取り上げられたこともあるため、ニヴフ料理としてご存知の方もいるかもしれません。
しかし、正確にはニヴフ族発祥ではなく、これは樺太アイヌの料理musが発祥とされています。

https://dzen.ru/a/Y_3lGlD-pH3lFY5j

https://nazaccent.ru/content/36330-nacionalnaya-kuhnya-desert-iz-borshevika-i/

ホルラ ティエヴィ

3つ目のおやつはホルラ ティエヴィ(ニヴフ語 ӿорла теви)です。
ティエヴィ(ニヴフ語 теви)はハマナス(ローズヒップ)のことで、現在はこの名前で呼ばれることもあります。

材料にはハマナスの実のすりおろしのほか、コケモモの実、ガンコウランの実、ナナカマドの実、アザラシの脂肪から作られます。
ハマナスは漢方にも用いられるため、美容や健康に良さそうですね。

https://astv.ru/news/culture/2016-05-06-bludo-sahalinskih-nivhov-kani-vazm-priznano-luchshim-po-versii-soobshchestva-slow-food-%E2%80%93-kovcheg

https://ujnosahalinsk.bezformata.com/listnews/nivhi-rasskazali-kak-prigotovit/91659936/

https://infourok.ru/issledovatelskaya-rabota-izuchenie-blyud-tradicionnoj-kuhni-korennogo-malochislennogo-naroda-severa-nivhov-7271016.html

その他の料理

ベリー類を使ったその他の料理は以下の通りです。

◯ニブフ族のベリー料理

・вылкӈалр̌  ヴゥルクンガルシュ「混ぜコケモモ」
コケモモ(алр̌ )とサケの白子を混ぜ、アザラシの脂を和えたもの

・вылкӈчари ヴゥルクングチャリ「混ぜクロマメノキ」
サケの白子とクロマメノキ(чари)を混ぜ、アザラシの脂を和えたもの

・вызғ алр̌  ヴゥズグ アルシュ(サハリン)/ вызғ алс ヴゥズグ アルス(アムール)「かき混ぜベリー」
魚を茹でたあと、水気を切って乾かす。
それを細かく砕き、ベリー類(алр̌ )と混ぜ、さらにアザラシ脂を和えたもの

※вылкӈ чариではなく、вылкӈчариとしているのは辞書上、一つの単語として存在しているため

スープ料理

プチ

次は昆布を使ったスープ、プチ(ニヴフ語 путь)です。
材料としては昆布(путь)、サケ、タラ、ハゼなどが使われます。

日本では昆布やワカメなどの海藻を食べることに馴染みがありますが、
ロシア全土ではそのような習慣はないため、珍しい料理として取り上げられています。

https://dzen.ru/a/YjO3GPBP-gKo88vz

https://nazaccent.ru/content/36330-nacionalnaya-kuhnya-desert-iz-borshevika-i/

そのほかも魚や野鳥の肉を使ったスープが存在します。

◯ニヴフ族のスープ料理

・чо ваньх チョ ヴァニィフ「魚汁」
サケなどの魚(чо)のスープ(паньх)、行者ニンニクや野草を入れる

・пуйӈа ваньх プインガ ヴァニィフ「野鳥肉の汁」
切った野鳥(пуйӈа)の肉、穀物、玉ねぎ、行者ニンニクを20分ほど煮込んだ濃厚なスープ

※ニヴフ語の文法には音交替というものがあり、元の単語から発音が変化する。
 しかし、多くのロシア語の資料ではその文法が正しく適応されておらず、単に逐語になっている

飲み物

最後はニヴフ族の飲み物です。
詳しい説明を見つけられなかったので、以下のように素材の紹介にとどめます。

◯ニヴフ族の飲み物

・カバノアナタケ
白樺に生えるキノコ
ニヴフ語 эвр̌ӄ エヴシュク ロシア語 чага チャーガ

・カラフトイソツツジの若芽
ニヴフ語 т’аӄр̌  タクシュ

・ベリー類、コケモモの葉
https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_matcult.html

https://fitomarket.com.ua/fitoblog/chaga-gribi-polza-i-vred-chudo-griba

https://gkzplant.sakura.ne.jp/mokuhon/syousai/agyou/i/isotutuji.html
◯参考サイト
https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_matcult.html

https://infourok.ru/issledovatelskaya-rabota-izuchenie-blyud-tradicionnoj-kuhni-korennogo-malochislennogo-naroda-severa-nivhov-7271016.html

https://nazaccent.ru/content/36330-nacionalnaya-kuhnya-desert-iz-borshevika-i/

https://mnogolikiy.ru/novosti/nivkhi-osobennosti-natsionalnoy-kukhni/

https://kmns.ru/blog/2021/10/31/что-такое-пынь-на-пыйх-с-национальной-к/

https://www.youtube.com/watch?v=488h5itgaYY

https://dzen.ru/a/Xe9aLHTxvACy2aId

漁撈

では次にかつての彼らの生業であった漁労(ぎょろう)について見ていきましょう!
漁撈とはごく簡単に言えば、魚を獲ることを指します。
それによって衣服の素材や食材を得ていたため、彼らの歴史や伝統文化を理解するうえで重要な要素です。

「漁撈って、漁業と何がちゃうねん?」と思うかもしれませんね。
それぞれの違いを説明すると以下の通りです。

◯漁撈と漁業の違い
・漁撈(漁労)
魚を獲る行為。自給自足、趣味、伝統文化のために魚介類を捕獲・収穫すること

・漁業
産業(流通・販売)のような営利のために魚介類を捕獲・養殖すること

簡単に言えば、かつてのニヴフ族は魚を売るためではなく、自分たちが消費するために大量の魚を獲っていました。
実は彼らは皆さんが思っているよりも大量の魚を獲っていたのですが、それはなぜでしょうか?
漁撈を生業にしていた理由や具体的な消費量については後半にお話します。

獲っていた魚や海獣

これはニヴフ族や周辺民族の起源などを探るための重要な手がかりになります。
なぜなら、狩猟していた動物の骨や狩猟道具は数百年前の遺物として残りやすいためです。
ここでは17世紀以降の漁撈についてご紹介し、それ以前のものについては文化編のPart3で解説予定です。
以下の表の通り、伝統食材として登場したサケ類やアザラシのほか、それ以外にもトド、イルカを狩っていました。

分類生物名
サケ類シロザケ、カラフトマス、イトウ
海水魚タラ類(タラ、コマイ)、ニシン目(ニジン、ワカサギ)、ハゼ、ヒラメ
淡水魚ワカサギ、ウグイ、カワカマス、チョウザメ
海獣類アザラシ類(ゴマフアザラシ、ワモンアザラシ、クラカケアザラシなど)、
アシカ、トド、イルカ類(シロイルカなど)

この表を見ると、「イルカを捕ってたんなら、クジラも捕ってたんちゃうの?」と思う人もいるかもしれませんね。
これについて補足します。
日本やカムチャッカ半島では歴史的にイルカやクジラを捕っていましたが、ニヴフ族はクジラを捕獲していませんでした。
ニヴフ族自身も「クジラは狩らなかった」と語っており、民族学者による記録にもクジラの捕獲に関する記述は確認できませんでした。
さらに、専用の道具も確認されていません。
ただし、海岸に漂着したクジラは利用していたようで、昔は大型クジラのヒゲをお守りにする習慣があったそうです。

https://www.academia.edu/4813242/ПИЩЕВАЯ_ТРАДИЦИЯ_ПАЛЕОАЗИАТОВ_НИВХОВ_И_АЙНОВ_КАК_ЧАСТЬ_ПРИРОДНО_СРЕДОВОЙ_КУЛЬТУРЫ

漁撈で使う舟

漁をするために必要となるのが、舟ですね。
彼らは複数の舟を使い、大量の魚やイルカなどの海獣を捕獲していました。

このことは前回の歴史編でご紹介したようなニヴフ族の歴史的な呼び名に関係しています。
彼らはかつて「吉里迷(ギリミ)」や「гиляк(ギリヤーク)」と呼ばれていました。
これはツングース系の言語に由来する呼称で、「舟人」あるいは「舟を漕ぐ人」を意味します。

他の民族から見ると、そのくらい舟と共に生活していた集団だったと分かります。
下図の1950年代の漁の様子からも分かるかと思います。

https://language-geek.com/nivkh_people_and_history/

https://dzen.ru/a/Z-fGxR0KnVzmGeZ3

彼らはどういった舟を使っていたのでしょうか?
私が調べたところ、手漕ぎ舟が基本で、帆船(はんせん)は見られませんでした。
大きく分けると2種類存在します。

一つ目は画像のような複数の板を組み合わせて作る構造船というものです。
これはニヴフ語で ӄалмыр̌ му カルムゥシュ ム 「平底船、パント舟」や тыр̌кыӈ トゥシュクゥング 「板船」と呼ばれます。
古い写真にはこの種類の舟が数多く見られます。

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/64094?page=37&query=нивх&index=1800

https://old.bigenc.ru/ethnology/text/2800664

もう一つは丸太をくり抜いて作られる丸木舟(まるきぶね)、мла му「耳の舟」です。

昔のニヴフの祭りを再現した催しの画像には熊の顔つきの丸木舟が写っています。
なお、この画像の舟については単なる物や道具ではなく、御神体の役割があると思われます。

https://www.atlaskmns.ru/page/ru/lang_nivhi_sahalin_all.html

https://old.bigenc.ru/ethnology/text/2800664

漁撈の道具

次は漁撈の道具を簡単に見ていきましょう。
下図の左の画像は魚を捕獲するための網である、漁網(ぎょもう)です。

これは主にサケ類などのを捕獲するために使われていたようです。
また上図の右側の写真には水揚げされた魚が舟の内側に広げた網の中に入っているのが分かります。

https://arctic-megapedia.com/en/blog/category/nivhi/domashnij-byt-nivhov/

https://www.culture.ru/materials/254508/samobytnaya-rossiya-nivkhi

ほかにもアザラシ狩りの道具があります。
流氷にいるアザラシを捕らえる・引き上げるための鈎(かぎ)と呼ばれる道具や、アザラシを仕留めるための木鎚があります。

なお、この木槌をよく見ると、アザラシの顔が彫られていることが分かります。

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/367435?page=42&query=нивх&index=2079

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/370923?page=4&query=нивх&index=159
◯参考文献
https://minpaku.repo.nii.ac.jp/record/4202/files/KH_019_4_001.pdf

狩猟と採集

狩猟と採集の対象

次は陸上での狩猟や採集について見ていきましょう!
これらは特に17~20世紀頃の生活や当時の交易を知るのに役立ちます。
記録によると、以下のような動物が狩猟対象だったようです。

分類動物名
シカ科動物シカ、ヘラジカ、トナカイ
食肉目哺乳類クマ、オオカミ、ヤマネコ、キツネ、クロテン、カワウソ
鳥類カモメなどの海鳥
https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_life.html

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/ARTICLE/2250643

上の表で注目したいのは、狩猟対象のキツネやテンです。
これらの動物から毛皮を得て、衣服や帽子の材料として利用していました。

毛皮はそれと同時に重要な交易品でもありました。
彼らは狩猟によって得た毛皮を通して、交易にも関わっていたのです。
17~19世紀頃には、ウリチ族やアイヌ民族などとの間で交易が行われていました。
これは歴史的には山丹交易として知られ、交易品が中国や日本へも流通していました。

なお、当時のアイヌ民族は、ニヴフ族を sumerenkur(スメレンクル)と呼んでいました。
これはアイヌ語で「キツネの人」という意味です。
この呼び名は当時の交易における彼らの役割を表した名残の一つだと私は考えます。

https://language-geek.com/nivkh_people_and_history/

https://minpaku.repo.nii.ac.jp/record/516/files/SS%EF%BC%9AHAN%202010%EF%BC%8Ep515-536.pdf

狩猟と採集に使う道具や手法

次は狩猟と採集に使う道具や手法を見てみましょう!
代表的なものだと弓矢、ナイフ、罠があり、それぞれ、獲物や用途ごとに種類があります。

具体的には弓矢にはクマ用、クロテン用のクロスボウ、カワウソ用の仕掛け弓などがあります。
ほかにも雪の上での移動に便利なスキー板とストックも存在します。

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_life.html

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/193100

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/204316

では、シカのような大型の動物も弓矢で仕留めていたのでしょうか?
意外にも冬のシカ狩りでは弓矢は使われなかったようです。
20世紀のニヴフ族を研究していたクレイノヴィッチ(Ерухим Абрамович Крейнович)は以下のように記録しています。

◯クレイノヴィッチ著 「ニヴフグ」 1920年代の記録

«Из лука оленя не убивали, так как, пока охотник снимет лук, вложит в него стрелу и прицелится, олень снова побежит.
Поэтому проще оказывалось быстро подкатиться к нему на лыжах и воткнуть в него нож.»

「シカは弓で仕留めることはなかった。狩人が弓を掴み、矢を番え、狙いを定めているうちに、シカが再び駆け出してしまうからである。
だから、すぐにスキーでシカに近づき、ナイフを刺すほうが簡単だった。」

銃が普及するまではそのような狩り方をしていたようです。
このように道具と当時の記録を合わせてみることで、彼らの技術や知恵についての解像度がまた一段と上がりますね。

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_life.html

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/193100

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/204316

https://bioslovhist.spbu.ru/hist-pg-ld/3275-krejnovic-eruhim-urij-abramovic.html

サハリン・アムール民族誌: ニヴフ族の生活と世界観

このほかにもキツネ用の罠、カモメを捕まえるための釣り針、ベリー類を採取するための背嚢、百合根を掘るための道具があります。

ちなみに、キツネ狩りに関しても興味深い記録を見つけました。
ニヴフ族はキツネの巣穴を見つけると、雌は狩らず、雄は絞め殺していたようです。
さらに子ギツネは生きたまま捕らえ、魚のエラを餌にして秋の終わりまで育ててから毛皮を採っていました。
一方、冬には仕掛け弓や罠を用いて捕獲していたようです。
この記録からは、季節や個体に応じて手段を使い分けていた様子がうかがえます。

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_life.html

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/370945

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/298338

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/204282

なお、以下のサイトでは博物館またはオンラインで見ることができます。
勿論、私は全てを把握しているわけではありません。
もし実物をご覧になったことがある方はコメントを頂けると幸いです。

◯ニヴフ族の所蔵品・展示物がある博物館

ロシア民族誌博物館(ロシア、サンクトペテルブルク)

サハリン州郷土博物館(ロシア、サハリン)

北海道立 北方民族博物館(北海道、網走)

農業をしないニヴフ族

ニヴフ族は歴史的に農業を行っていなかったと記録されています。
博物館の資料を見ても、鍬や鋤といった農具は確認できません。
また食材のところで紹介したように彼らには穀物を主食とする習慣がありませんでした。
粟などの穀物は祭事の料理に加えられることはあっても、日常的に食べるものではなかったようです。
こうした点からも、彼らが農業ではなく、前述の漁撈や狩猟を中心に生活していたことが分かります。

では、なぜ農業を行わなかったのでしょうか?
これについて、ロシア文学で有名なチェーホフは次のように記録しています。

◯チェーホフ著 「サハリン島」1891~1893年の記録

≪гиляки считают большим грехом земледелие: кто начнет рыть землю или посадит что-нибудь, тот непременно умрет.≫

「ギリヤーク族は農業を重大な罪とみなしており、土を掘ったり何かを植えたりする者は必ず死ぬとされている。」

「なんで農業をしたら、必ず死ぬねん。」とツッコミたくなりますよね。
私はこの理由として、次の3つの背景が関係していると考えています。

◯ニヴフ族が農業をしなかった背景

  1. サハリンが植物の栽培に適さない寒冷な気候である
  2. 農業より狩猟や漁撈のほうが効率よく食料を確保できた
  3. ニヴフ族の自然信仰

1や2のような自然環境の中で暮らしてきた結果として、3の自然信仰が生まれたと私は考えます。
科学的な根拠は割愛しますが、その自然信仰に従って農業を行わないほうが生存に有利だったのでしょう。
なお、ニヴフ族の文化を理解するにはこの自然信仰の話も欠かせないため、次回の精神文化編で解説予定です。

https://arctic-megapedia.com/blog/2020/12/06/tradicionnoe-hozjajstvo-nivhov/

https://ru.wikisource.org/wiki/Остров_Сахалин_(Чехов)/Версия_2
◯参考サイト

https://dzen.ru/a/aK5WLs4p8ENxkDdr

https://www.viktur.ru/active-tours/tours-to-sahalin/nivkhs-19629-987.html

https://arctic-megapedia.com/blog/2020/12/06/tradicionnoe-hozjajstvo-nivhov/

ニヴフ族の昔の住居

次はニヴフ族が1900年代頃まで使っていたこと過去の住居について見ていきましょう!
彼らは今は現代式の住居に住んでいますが、昔は寒冷地ならではの独自の工夫をしていたことが分かります。

下図はかつてのニヴフ族の住居です。
彼らは2つの家を持っていて、一つは夏の家、もう一つは冬の家と一般的に呼ばれています。

それぞれの家は遠く離れた場所または隣接したところに建てられました。
そして、季節に合わせて移り住むという生活様式を取っていました。
現代人にとって季節によって家を使い分けるというのは馴染みはないかもしれませんね。

これにはサハリンの気候が大きく関係しています。
亜寒帯に分類される地域で、10月から3月頃までは気温が0度を下回ります。
夏期は涼しい一方で、冬期は吹雪や流氷が見られる厳しい自然環境が広がっています。
一つの家でいずれの季節にも対応するとなると、多くの材料や高度な建築技術が必要とされたのでしょう。

そのため、2つの家を季節に応じて移り住むことは現実的な解決策だと考えられます。
勿論、これら以外の種類の家もありますが、今回はこの2つの家について紹介します。

https://akmns-khab.ru/нивхи/

https://arctic-megapedia.com/blog/2020/12/06/zhilishhe-nivhov/

https://www.kupi.com/en-ae/explore/russian-federation/nogliki/weather

夏の家

サハリン州立郷土博物館には夏の家の復元があります。

高床式にすることで、保管された食料をネズミなどから守る役割があるそうです。
なお、上の画像には展示用に階段が取り付けられていますが、本来は階段はなく、棒梯子というもので家に上がります。
前述の白黒写真の画像を見ると、冬の家に棒梯子が立て掛けられていることが分かります。
また夏の家は漁を行うために海などの水辺に建てられるため、その近くには魚を干す場所や漁に使う網を干す場所があったようです。

複数のサイトから細かい情報をまとめると以下の通りです。

◯ニヴフ族の夏の家
・名称
サハリン方言 кераф キェ ラフ
アムール方言 керыф キェ ルゥフ
※おそらく海(кер̌ӄ)の家という意味

・特徴
湖、川、海岸の近くや冬期の家の近くに建てられる
サケの産卵期に合わせて春に移り住む

・構造
木造の高床式(約1.5m)
樹皮(天井)、丸太、板で作られ、金具は使わない
杭や切り株の上に骨組みを組む
傾斜した屋根(切妻・円錐・長方形など)

・日当たりの考慮
入口側が日向、背面が日陰になるように配置される

・倉庫、納屋
食料、道具、武器、衣類を置いた

・居住空間
側壁と後壁に沿って寝台が横に並んでいた
寝台の間には砂を詰めた長方形の木枠内に暖炉があり、その砂の上に火が焚かれた
人々は頭を暖炉のほうに向け、足を壁につけて寝た
https://akmns-khab.ru/нивхи/

https://indigen.libsakh.ru/virtualnyi-spravochnik/nanaicy/pishcha-1

https://cultsakhalin.ru/places/497/letnee-zhilishe-nivkhov-ke-raf

冬の家

次は冬の家です。
こちらもサハリン州立郷土博物館に復元があります。

サハリン方言ではмифтаф ミフ タフ「土の家」と呼ばれます。
画像を見ても、家の上に土を被せていることが分かると思います。
正確に言うと、この家は床を1メートルほど掘ったところに屋根を含め木造で建てて、その上に断熱材として土を被せているようです。

複数のサイトから細かい情報をまとめると以下の通りです。

◯ニヴフ族の冬の家
・名称
サハリン方言 тораф ト ラフ、мифтаф ミフ タフ
アムール方言 торыф ト ルゥフ、мифтыф ミフ トゥフ

・特徴
海岸から離れた風の当たらない場所や川の谷間に建てられる
秋に移り住む

・半地下式
深さ約1mの長方形の穴を作り、角に柱を立てる
その穴の四方を水平に並べた丸太で囲む

・屋根
主にピラミッド型、切妻屋根
外側は乾燥した草と土で覆われる

・出入口、通路
入口は風下側に設置
通路には物品や道具、犬を保管した

・窓、煙突
窓や入口は魚皮で覆われる
石製や木製の煙突を通じて暖炉の煙を排出

・居住空間
天井のない単室構造 
床は土間
壁側には寝台を配置 

・炉と暖房
部屋の中央に炉を設置 
調理・暖房・照明用に複数の炉があることも
炉の熱で寝台を暖める

下図の画像を見ると、入口の大きさからは想像できないくらい部屋の内部は大きいと分かりますね。

また壁や天井は木材でできており、中心には炉、壁に沿ってベッドがあります。
この構造により、ベッドを温めることができたそうです。

https://akmns-khab.ru/нивхи/

https://indigen.libsakh.ru/virtualnyi-spravochnik/nanaicy/pishcha-1

https://cultsakhalin.ru/places/415/zimnee-zhilishe-nivkhov-to-raf
https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_matcult.html

https://arctic-megapedia.com/blog/2020/12/06/zhilishhe-nivhov/

https://www.slovoart.ru/node/1720

https://indigen.libsakh.ru/virtualnyi-spravochnik/nanaicy/pishcha-1

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/ARTICLE/2250643

https://dzen.ru/a/Yu7avlxxMkKnUclY

https://humus.livejournal.com/10592224.html

樺太犬と生きたニヴフ族

ここまで魚皮衣、干し魚、アザラシ狩りなど漁撈に関する話が多かったと思います。
そのため「ニヴフ族は簡単に言えば、北方の漁撈民なんやな」と理解された人もいませんか?
しかし、それだけでは彼らについての理解が浅いです。
なぜなら、彼らの暮らしを支えた最も重要な動物についての話が抜け落ちているからです。
例えるなら、「日本人は毎日お寿司を食べているんでしょ?」と思っている外国人のような感じです。

では何の動物が重要だったかというと、それは犬です!
犬は彼らの衣食住、さらに1900年代の歴史に関する理解を深めるために欠かせない要素です。
しかし、ここまでの話で出てきた犬といえば、犬肉や毛皮をもたらすような単なる家畜の一つに過ぎないと思っていませんか?
実際には、現代で言うところの、都市生活における公共交通機関やインターネットのような通信インフラと同様に生活基盤の一つでした。

その裏付けとしてニヴフ族の研究者クレイノヴィッチは以下のように記録しています。

◯犬に関する記録(1920年代)

«Нет ни одного жилища нивхов,
возле которого бы не были бы привязаны к шестам собаки.
Они неотъемлемый атрибут их жизни.
Представить нивхов без собак невозможно.»

「ニヴフの家庭には、柱に繋がれた犬がいない家は一つもない。
 犬は彼らの生活に欠かせない存在だ。
 犬のいないニヴフを想像することなど不可能だ。」
https://rusneb.ru/catalog/002072_000044_ARONB-RU_Архангельская+ОНБ_DOLIB_-410449/

https://cir.nii.ac.jp/crid/1971430859855953458

https://telegra.ph/SAHALINSKIE-HASKI--EZDOVAYA-NIVHOV-CHast-3-10-23

こうした記録は、当時ニヴフ族と接触したロシア人の証言や、その時代を生きたニヴフ族の回想に繰り返し登場します。
それらを読むと、犬は人の暮らしを支えていた中心的な動物だったようですね。

https://www.photo12.com/fr/images?search=nivkh

https://lapkins.ru/dog/sakhalinskiy-khaski/

ニヴフ族の生活を支えた樺太犬

では、ニヴフ族はどのような犬を飼育していたのでしょうか?
それは樺太犬と呼ばれます。

ニヴフ族はより優れた個体を作るためにアムール地域の犬などとの交配をさせながら、改良を重ねてきたとされています。
また体重は30~40kgほどある大型犬で、大きさとしては雄のゴールデンレトリーバーより少し大きいか、ジャーマンシェパードと同じくらいのようです。
なお、餌としては冬期に干し魚、夏期に新鮮な魚やアザラシの脂肪を与えていたそうです。

https://lapkins.ru/dog/sakhalinskiy-khaski/

https://rg.ru/2026/01/23/reg-dfo/na-sahaline-pensioner-pytaetsia-vozrodit-ischeznuvshuiu-porodu-ezdovyh-laek.html

https://karafuto-ken.livejournal.com/tag/гиляцкая собака/

さて、実はこの樺太犬、ある映画がきっかけとなり、世界的に有名になりました。
それは1980年代に放送された「南極物語」です。
むしろ、樺太犬といえば、この作品を真っ先に思い浮かべた方もいるのではないでしょうか?

これは実話が元になっており、人間の都合で南極の観測基地に取り残された樺太犬の生存について描かれています。
その中に登場するタロとジロという犬も有名です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/南極物語

https://db.kahaku.go.jp/exh/col_z1_01/1759523

なお、映画の撮影には樺太犬の代わりに、カナディアンエスキモー犬が代役を努めています。
この犬が樺太犬の画像として間違えて使われていることがありますのでご注意下さい。

実在のモデルと映画では犬種は異なるものの、極寒の中で生き抜く姿は樺太犬とも共通していることでしょう。
個人的にはおすすめの作品です。

ざっくり分かる!日本における樺太犬の歴史|ニヴフ族と日本の意外な繋がり
https://karafuto-ken.livejournal.com/9549.html

https://sippo.asahi.com/article/10563862

https://akiakkennels.ca/canadian-eskimo-dogs/

生活基盤だった犬橇

ここまで樺太犬を見てきましたが、ニヴフ族は何のために飼っていたのでしょうか?
最大の用途は犬橇(いぬぞり)で、彼らの生活基盤の一つでした。
犬橇という用途で、数頭の犬に橇を引かせて荷物を運ぶのは
1900年代前半にはツングース系の民族や日本でも記録などで見られたので、決して珍しいことではありません。
それに対し、注目すべきはニヴフ族が10頭前後の多数の犬で、人と荷物の両方を長距離で運んでいたということです。
さらに複数の記録をもとに推計すると、ニヴフ族1人あたり約2頭を飼育していた計算になります。
しかし、犬橇に利便性や重要性があったと言われても、普通は実感しにくいのではないでしょうか?
そこで、犬橇の特徴、その利点などについて具体的な資料や根拠をもとに見ていきます。

犬橇の基礎知識

犬橇はニヴフ語でт’у トゥー、ロシア語でнарта ナルタと呼ばれます。

一般的に橇は木製で、木の釘、魚膠(ぎょこう)と呼ばれる魚のゼラチン質から作る接着剤、革のストラップで固定されているようです。

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/298274?page=8&query=нивх&index=354

https://karafuto-ken.livejournal.com/22542.html

https://tsurinews.jp/330543/

犬橇の部品

犬橇は以下のような部品から作られていたようです。

ニヴフ語読み意味
ихイフ支柱群・脚部
кинғиキンギ横木
ӄеӈгайケングガイ前部にある左右の反り上がった滑走材をつなぐ横木
нухтヌフトゥ中央のベルトを引くための引き綱
нутьヌチィ引き綱を取り付けるための中央のベルト

これらの用語はツングース系の民族やアイヌ民族などでも一部共通点が見られるようで、
民族同士の関係で史実に残っていないものを調べる際にも重要だと私は考えます。

https://www.calameo.com/read/006606290e730c8f827ac

ニヴフ式の犬橇チーム

複数の記録を調べると、ニヴフ族の犬橇には基本的なチームの形や目的に合わせた編成などがあることが分かりました。
まとめると以下の通りです。

◯犬橇のチーム
基本のチームは9頭で構成され、ニヴフ語でикр̆イクシュ と呼ばれる
所有頭数に応じて7~15頭
裕福な人は2列編成にできた
160キロの荷物+操縦者なら13~15頭を繋ぐ

◯犬橇のリードドック
犬橇の先頭を走る経験豊富な犬
ニヴフ語でнуғид ヌギドゥと呼ばれる
特に黒い樺太犬が選ばれた
購入する場合はほかの犬よりも高価だった

犬橇の走行や駐車

以下のような単語も参考に載せて起きます。

ニヴフ語読み意味
каюр̌カユシュカユール、犬橇の操縦者、マッシャー
ҳаӄадハカドゥ犬橇を運転する
ӄарфカルフ犬橇を停めるところ、駐車場
ӄангылカンギゥル冬の家の長い廊下に立て掛けられた犬橇
https://dzen.ru/a/YWAGzGeRc2oHa5oY

https://karafuto-ken.livejournal.com/12584.html

https://karafuto-ken.livejournal.com/34368.html

https://astv.ru/club/blog/sahalinskiy-parizh-blog-grigoriya-smekalova/JIXK3meJlE2s7Nwihq1WKw

下の写真を見てみると、確かに13頭の犬で編成されており、先頭には黒い樺太がいることが分かります。

上図の通り、ニヴフ族の犬橇の特徴をよく物語っていますね?
勿論、前述のチーム編成はあくまでも理想形で、所有している犬の頭数や、目的によっても変わります。
もし頭数が足りない場合は、ほかの家から借りてくるということもあったそうです。
なお、ニヴフ族は橇を引くのに尻尾が邪魔という理由で、犬の尻尾を切り落とし、短くしていました。

https://karafuto-ken.livejournal.com/12584.html

犬橇を使う時の掛け声

この犬橇を操作するためには犬への掛け声が必要です。

ニヴフ語読み意味
та-таタ タ(掛け声)進め、まっすぐ進め
та-та ну-ну́タ タ ヌ ヌー(掛け声、駆り立てる時の)進め
пор̌ポシュ(掛け声)止まれ
ӄ’айカィ(掛け声)右へ
тьыйチィゥィ(掛け声)左へ

特に「進め」という掛け声はクレイノヴィッチ氏の書籍の中でもよく登場しています。
当時の村ではこのような掛け声は日常的に聞かれていたのかもしれませんね。

https://www.calameo.com/read/006606290e730c8f827ac

犬橇の長所

ここまでの話から、ニヴフ族が樺太犬を育て、犬橇を使っていたことが分かりましたよね。
「犬やなくて、なんで馬ではあかんかったんやろ」と疑問に思いませんでしたか?
そこで彼らが犬橇を採用していた理由を理解するためにクイズです。
ニヴフ族は犬橇を使って、一日最大何km走れたのでしょうか?

◯クイズ:ニヴフの犬橇は一日最大何km走れた?

1,  6km
2,  60km
3, 160km

※どれか一つお選び下さい。

正解は「160km」です。
意外にも馬の場合は1日に走れる距離は30~50kmと、犬と比べると短いんです!
とは言え、本当に犬橇で160kmも移動できたのでしょうか?
その裏付けとなる記録やその凄さを見ていきましょう。

まず1880年代にはニヴフ族の祭りの中で、犬橇競技が行われていたと記録されています。

◯ニヴフ族の犬橇競技

1880年代ではサハリンのオホーツク海岸、2つの村の間、約50kmで行われていた

出発 チャイヴォ(Чайво)
到着 ヌィイヴォ(Ныйво)

そこには出発地点と到着地点になっていた村の名前が記載されていました。
Googleマップで私が測ってみると、ほぼ50kmでした。
(※なぜか原文にはその距離は65kmと記載されています。)
このことから、50kmは確実に走れるということが記録から分かりますね。

https://rusneb.ru/catalog/002072_000044_ARONB-RU_Архангельская+ОНБ_DOLIB_-410449/

https://cir.nii.ac.jp/crid/1971430859855953458

では最後に最大160km走れたという根拠を見ていきましょう!
1920年代にサハリンにいた医者は速度や走行可能な時間について以下のように記録しています。

◯犬橇の記録(1920年代)
サハリンにいた医師による記録

«…Запряжённые от 7 до 13 с вожаком вместе, они мчатся до 15 вёрст в час (16 км/ч) и могут бежать подряд до 8-10 часов с небольшими до 15 минут редкими перерывами.»

「7~13頭の犬がリーダー犬とともに橇を引いて連なり、時速15versta(約16km/h)で走る。そして、最大15分ほどの短く稀な休憩を挟むだけで、8〜10時間連続して走り続けることができる」

上記の記録から計算すると、一日で130~160kmを移動できることになります。
参考に現代の犬橇競技で長距離のものと比較すると、130~200kmだそうでほぼ同じだと分かります。

◯犬橇での1日の走行可能距離

・ニヴフ族
1880年代の記録:50km
1920年代の記録からの算出値:130~160km

・現代の犬橇競技
長距離競技:130~200km

勿論、1900年代のニヴフ族と現代の犬橇競技では犬種や連れて行く頭数などは異なりますが、
前述の記録に基づく算出値は妥当な範囲に収まっているため、1日最大160kmを走れたと言えます。

https://dzen.ru/a/YWAGzGeRc2oHa5oY

https://qpaws.com/blog/how-elite-sled-dogs-sustain-performance-across-hundreds-of-miles/

https://www.flarkenadventure.com/10-questionsabout-sled-dogs/

では、1日で行けた160kmはどのくらいの距離なのでしょうか?
関東で見てみると、東京駅から静岡県の焼津市や栃木県の那須塩原市までです。

また関西で見てみると、大阪市から名古屋市や岡山市までの距離です。
「この距離やったら、もう新幹線で行くやつやん。」と私は思いました。

このように犬橇には長距離を移動できるという一番の利点があることをご理解いただけたでしょうか?
車や鉄道が普及するまでは、彼らが最も重要としていた移動手段でした。
個人で所有ができ、日常的に使われていたことを考えると、今で言う「車」のような存在だったと言えますね。

馬ではなく、犬を採用した理由

クイズのところでもお伝えしましたが、この地域では馬ではなく、犬が採用されていました。
その理由を移動距離、移動速度、狩猟への参戦という3つの観点でお話します。

1つ目は移動距離です。
一般的に馬が1日に移動できる距離は30~50km程度とされています。
馬を途中で乗り換えればさらに遠くまで移動できますが、そのためには途中に馬を補給・交換できる拠点が必要です。
一方、犬橇は単体で160kmほどを走行できるため、遠くの町や集落の間を結ぶ移動に優れていました。

2つ目は移動速度です。
サハリンでは雪が1m近く積もることもあります。
馬の場合は、深い雪が積もると、脚が沈みやすく、速度が低下します。
一方、犬橇だと、雪面を走るため、積雪の多い環境や山林でも速度を落とさず移動できます。

3つ目は狩猟への参戦です。
シカ狩りに関する記録では「シカの足跡を発見したら、犬を放ち、追跡させる。シカに追いついたら、足止めする」とあります。
また群れでクマに立ち向かい、狩りに参加したというような話が見られました。
この役割は馬には不可能だということは容易に分かりますよね。

以上を踏まえて、馬より犬のほうが汎用性が高かったと私は考えています。

https://kansai.us/column/post-3261/

https://lapkins.ru/dog/sakhalinskiy-khaski/

https://cir.nii.ac.jp/crid/1971430859855953458

https://karafuto-ken.livejournal.com/9549.html

https://karafuto-ken.livejournal.com/714.html

犬橇や犬の具体的な用途

次に記録に基づく、犬橇の用途を3つご紹介します。

1つ目は海獣類や舟の運搬です。
彼らはアザラシやトドなどを狩っていましたので、家と狩場の往復でした。
アザラシの体重は70~150kgぐらいありますので、これを人の力だけで遠くまで運ぶのは一苦労です。
犬橇はこういった課題を解決していました。

https://cir.nii.ac.jp/crid/1971430859855953458

https://collection.ethnomuseum.ru/entity/OBJECT/381094?page=58&query=нивх&index=2865

また冬期が終わると、もちろん犬橇は使えなくなりますが、夏期に仕事がなくなるわけではありません。
海の氷がなくなるとすぐに、犬と舟の先端と舟の側面にそれぞれにロープを繋いで岸辺から舟を引っ張る仕事をしていました。
これは曳舟(ひきふね)と呼ばれ、舟の操縦は船に乗っている人が行い、進むための動力の役割を犬が担っていました。
訓練された橇犬は、1時間に約21kmを走破したそうです。

https://www.slovoart.ru/node/1720

https://ashcbs.ru/wp-content/uploads/2017/08/Sbornik-Sahalinskie-lajki.pdf

https://astv.ru/club/blog/sahalinskiy-parizh-blog-grigoriya-smekalova/JIXK3meJlE2s7Nwihq1WKw/

2つ目は冬の家から夏の家への移動です。
前述の通り、彼らは夏と冬でそれぞれ異なる場所に家を持ち、季節に合わせて移り住んでいました。
夏の家は高床式で食材などの貯蔵品を保管していたようで、そこまで取りに行く際に使いました。
むしろ、犬橇があったからこそこのような家の使い分けが実現できたのでしょう。

https://cir.nii.ac.jp/crid/1971430859855953458

最後、3つ目は郵便配達です。
旧ソ連時代にはサハリン地方とアムール地方の間で郵便配達を行っていました。
Googleマップ上で走行距離を測定すると、約330kmでした。
これを最短3日で走破していたそうで、1日あたり約110kmを移動していた計算になります。

◯犬橇、330kmを最短3日で走行

・旧ソ連時代は以下の2点を行き来
ニコラエフスク=ナ=アムーリェ(Николаевск-на-Амуре)
アレクサンドロフスク=サハリンスキー(Александровск-Сахалинский)
天候や橇犬の質により、6~12日かかることもあった

※想定される経路について補足
・サハリン側の経由地は海岸沿いの村や町である
・アムール側の経路について資料が見つからず不明だが、同じく海岸沿いを走行したと考えられる
・タタール海峡は冬期には凍結するため、氷上を横断ができる

ただし、所要日数は天候や犬の状態によって大きく左右されました。
吹雪の際には天候の回復を待つために数日間滞在するなどして、6~12日ほどかかることもあったようです。
なお、現在、残っている犬橇の画像の多くは、この配達の様子を写したものです。

https://www.calcmaps.com/map-radius/

https://karafuto-ken.livejournal.com/12584.html

https://4travel.jp/travelogue/10018605

樺太犬との共生によるニヴフ文化の発展

1930年頃までのニヴフ族を取り巻く自然環境、人・犬の関係をもとにニヴフ文化の発展の流れをまとめると下図のようになります。

彼らが暮らしていたサハリンとアムール川流域は亜寒帯気候に属し、
サケ類やアザラシのような食料や、キツネの毛皮のように交易に使える資源を得ることができました。
こうした環境の中で、ヒトはイヌと共生しながら、独自のニヴフ文化を形成しました。
特にその中で発達した犬橇は長距離の移動を実現させた結果、ほかの民族同士との交易を支える物流ネットワークが形成されました。

犬橇は移動手段だけではなく、ニヴフ文化を発展させる起点だったんですね!
しかし、残念なことに1930年代以降、この関係や仕組みが崩れていくことになります。

莫大な飼育コスト:餌の消費量と犬の頭数

次に犬橇の一番の短所をご紹介します。
それは莫大な飼育コスト、具体的には餌の確保です。
この問題はその後、樺太犬の激減に繋がる要因となりました。
当時の複数の資料にばらばらに残る記録を整理し、飼育コストを現代の価値で換算してみました。

◯魚の年間消費量

・人用
約1,000~1,500匹/1世帯
干し魚の身を主に食べる

・樺太犬用
最大400本の干し魚の背骨部分/犬1頭
 加工時にできる副産物で冬期の餌
または魚200匹/犬1頭

ここから、一頭当り年間約200匹の魚を消費したことが分かります。

https://paruszelen.blogspot.com/2019/01/blog-post.html

https://sakhalin-war.livejournal.com/21938.html

https://lapkins.ru/dog/sakhalinskiy-khaski/https://dzen.ru/a/YWAGzGeRc2oHa5oY

次に1世帯で飼育していた犬の頭数と魚の消費量を見てみましょう。

◯1世帯当りの犬の飼育頭数

・サハリン
全414世帯で、3,580頭(1891年)
1世帯当たり、8.6頭≒犬橇チーム1組分

・餌の消費
年間約1,800匹分の魚が必要だった
犬9頭×魚200匹/1頭

複数の記録から、一世帯あたり、8.6頭飼育していたと計算できます。
ここから、1世帯で9頭とすると、餌として年間約1,800匹分の魚が必要だった計算になります。

では次にニヴフ族全人口では何頭の犬を飼育していたのでしょうか?
最も誤差が少なくなると考えられる1897年と1991年のデータを用いて計算します。

◯ニヴフ族全人口での飼育状況

・サハリンニヴフ
人口 1,969人(1897年)
犬の頭数 3,580頭(1891年)
一人当たり、1.8頭を飼育

・アムールニヴフ
人口 2,673人(1897年)
犬の頭数に関する記録はなし
サハリンと同じ、1人あたり約1.8頭の割合なら4811頭と推定

サハリンでは、1897年の人口1,969人に対し、1891年には3,580頭の犬が記録されています。
計算すると、1人あたり約1.8頭の犬を飼育していたことになります。
一方、同時期のアムール地方には2,673人のニヴフ族がいましたが、犬の頭数に関する記録は見つかりませんでした。
そこで、サハリンと同じ1人あたり約1.8頭の割合で飼育されていたと仮定すると、約4,811頭と推定できます。
この数を合計すると、ニヴフ族全人口約4,600人に対し、約8,400頭の犬を飼育していた可能性があったことになります。
人よりも犬のほうが多かったというのは驚きですね。

https://ashcbs.ru/wp-content/uploads/2017/08/Sbornik-Sahalinskie-lajki.pdf

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_common.html

莫大な飼育コスト:現在の価値で換算

ここまでの情報を整理することで、年間の犬一匹あたりの飼育コストとニヴフ族全人口でかけていた飼育コストが分かります。
私が現在の価値へ換算してみましたので、順に見ていきましょう。

犬1頭あたりでは、年間200匹の魚を消費していました。
2000年代以降のロシアにおけるサケ類の市場価格によると、1匹約4,000円でした。
よって、犬一頭あたりの年間飼育コストを現在の価値で換算すると、年間約80万円になります。
2026年現在の一般的な大型犬の年間の餌代は12~18万円ですので、「数字を盛りすぎちゃうの?」と思うかもしれません。
このコストの差は主食が天然魚だったことに加え、犬橇の仕事で想像以上に多くのエネルギーを消費したためです。
犬橇犬の研究によると、1日に1万kcal以上を消費と報告されており、これは一般的な環境で飼育される大型犬の最大8倍に達します。
それらを考慮すると、年間約80万円という換算は十分に現実的な金額なのかもしれませんね。

以下の通り、比較対象ごとに換算したものを表にまとまめした。

比較対象飼育頭数(頭)年間の餌消費量
(サケ類・匹)
年間飼育コスト
(日本円)
樺太犬1頭120080万
犬橇チーム91,800720万
サハリンニヴフ全人口(実測)3,580716,00028億6400万
アムールニヴフ全人口(推定値)4,811962,20038億4880万
ニヴフ族全人口(推定値)8,4001,680,00067億2000万

全体で約8,400頭を飼育していたと仮定すると、年間に消費した魚を現在の価値へ換算すると約67億円に達します。
この莫大な飼育コストは後に問題視されることとなります。

◯参考サイト

https://atlaskmns.ru/page/ru/index.html/

https://paruszelen.blogspot.com/2019/01/blog-post.html

https://www.sakhalin.kp.media/daily/27468/4724037/

https://libmonster.ru/m/articles/view/НИВХИ

https://traumlibrary.ru/book/chekhov-pss30-1415/chekhov-pss30-1415.html

犬橇を基盤とした自給自足の終焉

ここまで見てきたように、ニヴフ族は樺太犬とともに自給自足を行っていました。
その後、1850年代以降にロシア帝国、1922年以降にはソビエト連邦の統治下へ組み込まれました。
こうした社会の変化の中で、前述のような樺太犬の莫大な飼育コストをはじめ、
政策や技術の進歩など、様々な要因が重なり、千年以上続いてきた自給自足は終焉を迎えました。
ここからは、当時の記録や政策をもとに、その過程を見ていきましょう!

旧ソ連から見た機会損失

まず樺太犬の飼育コストについて見ていきましょう!
旧ソ連の役人はどのように認識していたのでしょうか?
当時のサハリンで旧ソ連の五カ年計画に関わったカンタローヴィチ(Владимир Яковлевич Канторович)は以下のように記録しています。

カンタローヴィチ著 「サハリン・エッセイ」(1932年)

«Кета и горбуша - экспортная рыба, имеющая огромную ценность.
Скармливать её собакам в виде юколы - хозяйственное преступление.»

「シロザケやカラフトマスは、輸出品として非常に価値の高い魚である。
これらをユコラ(干した魚)の形で犬に与えることは、経済的な犯罪行為である。」

«Доход от каюрства на собаках не может  компенсировать этих убытков.
Но собаки - коренная особенность  гиляцкого быта.
С ними гиляки расстаются очень неохотно.»

「犬橇使いの収入では、この損失を補填することはできない。
それでも、犬はギリヤーク(ニヴフ)の暮らしに根付いた本質的な存在である。
彼らは犬を手放すことを非常に嫌がった。」

https://ashcbs.ru/wp-content/uploads/2017/08/Sbornik-Sahalinskie-lajki.pdf

この記録から莫大なコストを掛けてまで犬橇を使っていたことは経済的な機会損失だと旧ソ連では捉えていたようです。
これは現代のような産業社会では魚は商品であり、販売することによってお金を生むとみなされているからです。
他の人よりもお金を多く持っていることが裕福の指標であることは現代でも同じですよね?

一方、当時のニヴフ族は自己消費のために魚を獲っており、生活のためにお金を稼ぐという意識は根付いていませんでした。
そして、多数の犬を飼育していることこそが裕福である証拠でした。
当時のニヴフ族は、この新しい価値観への適応を余儀なくされました。

1930年代にそのきっかけとなった2つの政策が進められました。

一つ目は産業社会への編入です。
家族単位で行われていた漁撈は、国家の計画に基づく集団漁業や商品生産へと移行しました。
その結果、彼らは賃金労働へ組み込まれていきました。

二つ目は、樺太犬の殺処分です。
樺太犬は年間に膨大な量の魚を消費していました。
当時、その魚は輸出可能な重要資源と考えられていたため、頭数削減が進められました。
その際、ニヴフ族たちは犬たちを泣く泣く殺したという話もあります。
殺処分が進められた一方で、一部の犬が日本へ渡ったことを示す証言もあります。
具体的な頭数を示す一次資料は確認できませんでしたが、
当時の南樺太や北海道では、樺太犬を安価に入手できたという証言や、使役犬として利用されていた記録が数多く残されています。

これらの政策について補足すると、当時はスターリン政権下で、粛清と恐怖政治が行われていた時代でした。
そのため、政策に公然と反対することは、自らの命に関わる危険を伴っていたのです。

https://sakhalin-war.livejournal.com/21938.html

https://indigen.libsakh.ru/virtualnyi-spravochnik/nivkhi/o-nivkhakh

その後も、戦後にかけてニヴフ族にロシア式の生活様式が定着し始め、徐々に自給自足の時代が終わりを迎えることになります。
1970年代には犬橇からスノーモービルに取って代わられました。
その結果、活躍の場を失った樺太犬はさらに数を減らしていきました。

ニヴフ文化は、新しい時代に適応しながら、現在まで受け継がれています。
そのことを知った上で、前半でご紹介した衣服や料理などをあらためて見返してみてください。
その一つひとつに込められた歴史と、受け継がれてきた文化の重みが、少し違って見えてくるのではないでしょうか?

樺太犬の保護

では、ここまで国の政策と新技術の登場で樺太犬は世界から姿を消してしまったのでしょうか?
実は、原産地のサハリンでは現在も生き続けていることが分かりました。
以下の通り、1970年頃から2025年までの保護活動についてまとめました。

年代出来事
1970樺太犬の頭数の減少。セルゲイ=リュブゥイフ氏(Сергей Любых)が
ニヴフ族から樺太犬の飼育、犬橇の技術を継承する
2014セルゲイ氏が亡くなる。彼の意向で、
サハリン北部オハのオレク=セリヴェルストフ氏(Олег Селиверстов)が
犬7頭と技術などを引き継ぐ
2015サハリン南部コルサコフのニコライ=チャルキン氏(Николай Чалкин)が
セルゲイ氏の仔犬を譲り受け、繁殖を行っている
2020オレク氏とニコライ氏等で、20頭ほどを所有
2025サハリン北部のアレクサンドロフスク・サハリンスキーに
樺太犬の移動を決めており、施設の改修費などの寄付を求めている

1970年頃に頭数の減少に危機感を覚えた、ロシア人のセルゲイ・リュブゥイフ氏が保護活動を始めました。
彼はニヴフ式の犬橇技術の継承なども含め、生涯をかけて尽力されました。
現地では「ニヴフになったロシア人」としてその功績が称えられています。
彼の死後、オレク=セリヴェルストフ氏や、ニコライ=チャルキン氏が活動を引き継いで現在に至ります。
またニヴフ人作家で有名なヴラヂーミル=サンギ氏 (Владимир Санги)も協力されているようです。
なお、樺太犬は犬種標準が定められないまま個体数が激減したこともあり、2026年時点で公的な血統登録はないようです。

https://dogbreeds.name/sahalinskiy-haski/

https://telegra.ph/SAHALINSKIE-HASKI--EZDOVAYA-NIVHOV-CHast-3-10-23

https://rg.ru/2026/01/23/reg-dfo/na-sahaline-pensioner-pytaetsia-vozrodit-ischeznuvshuiu-porodu-ezdovyh-laek.html

https://ostrov2049.ru/2020/10/08/белый-сон/

https://karafuto-ken.livejournal.com/34368.html

https://www.sakhalin.kp.media/daily/27468/4724037/

以下の画像は2023年時点の樺太犬です。
前述のニコライ=チャルキン氏が繁殖している個体で、YouTube等の動画で見ることが可能です。

ニヴフ族は、上の画像のような黒い犬を特に重宝していました。
ちなみにオレク氏によると、樺太犬はサハリンの南北で異なる系統があるそうです。
画像の犬たちは北方系統に属するとされ、タロやジロのような南方種ではないそうです。
さらに、ニヴフ族は南方種に見られる垂れ耳や、たるんだ体つきの犬を好まなかったと語っています。
日本ではそのような区別はされていないと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=uCBV8dGTlCg

https://vk.com/video-137819567_456246454

https://karafuto-ken.livejournal.com/34368.html

2025年の動画では樺太犬を抱きかかえている画像が写っています。
成犬も仔犬も大きくて抱きしめ甲斐がありそうですね。

https://t.me/sakhonline/109439

https://sakh.online/news/18/2025-03-04/unikalnuyu-porodu-sobak-karafuto-kena-perevezut-na-istoricheskuyu-rodinu-v-aleksandrovsk-sahalinskiy-463080

2025年にはサハリン北部で新しい繁殖施設の整備や犬の移送が計画され、寄付も呼びかけられました。
(※2026年現在は国際情勢の影響により、日本から金銭的な支援を行うことは容易ではありません。)
こうしたサハリンの人々による懸命な保護活動のおかげで樺太犬は今もなお生き続けています。
今後は犬種登録に必要な頭数の確保、安定的な繁殖体制を確保することが課題のようです。

https://astv.ru/city/people/znaj_nashih/unikalnuu-porodu-ezdovih-sobak-pitautsya-vozrodit-na-severe-sahalina

ただし、この活動は個人の資金の範囲内で行っていること、高齢化も進んでいるため、継続が難しい状況です。 彼らのSNSやブログ、参考にしたページを載せておきますので興味がある人はご確認下さい。

◯樺太犬の保護活動の情報

・インスタグラム
https://www.instagram.com/klubtraditsionnogo/

・ブログ
https://karafuto-ken.livejournal.com/

・サハリンのニュースメディア
https://t.me/s/cpsakhalin/195

https://t.me/sakhonline/109439

https://sakh.online/news/18/2025-03-04/unikalnuyu-porodu-sobak-karafuto-kena-perevezut-na-istoricheskuyu-rodinu-v-aleksandrovsk-sahalinskiy-463080

・日本のニュースメディア
https://www.nippon.com/ja/currents/d10013/

おまけ:樺太犬の呼称

この樺太犬のニヴフ語とロシア語での呼び方をまとめると以下のとおりです。
それぞれが持つ意味やニュアンスが異なるため、検索する際や参考記事を読む際に知っておくと役立つでしょう。

言語単語と意味ニュアンスや使われる文脈
ニヴフ語サハリン:ӄанн カン 「犬」
アムール:ӄан カン 「犬」
犬種の区別はない
ロシア語карафуто-кэн「樺太犬」主にサハリンを中心に使われている。
日本語からの借用語で、映画の文脈を含む
ロシア語сахалинский хаски「サハリンハスキー」ロシア語における一般的な通称。
ハスキー犬を連想させる文脈や、
サハリンの固有種であることを強調
ロシア語гиляцкая лайка「ギリヤークライカ(犬)」歴史的な呼称やライカ犬と呼ばれる猟犬の意味を含む
◯関連サイト

https://wanchan.jp/dogbreed/detail/60210

https://hokkyodai.repo.nii.ac.jp/record/540/files/9-1-B-22.pdf

まとめ

今回は、ニヴフ族の文化の中でも、衣食住と、それを支えた樺太犬に焦点を当ててお話ししました。
永久保存版にふさわしい、体系的かつ濃い内容に仕上げたつもりですが、いかがでしたか?
あなたに特にお伝えしたいことは、「犬とともに生きたニヴフ族」ということです。
今回お話したニヴフ族の文化と犬との関係を改めて見てみると、下図のように整理できます。

樺太犬や犬橇との関係
衣類犬の毛皮を素材にした防寒着を作り、着ていた
食材犬橇を引けなくなった老犬や儀礼で生贄とした犬の肉を食用とした
住居冬の家から夏の家にある食料や貯蔵品を犬橇で取りに行った
漁撈橇犬は消費カロリーが高く、漁撈で得た干し魚を主な餌とした
捕獲したアザラシを犬橇で運搬、犬に舟の曳航させた
狩猟シカやクマなどの獲物を犬で追跡・捕獲をした
宗教・社会犬を生贄として捧げた、富の象徴、賠償や交換の対象
移動・交易犬橇で数百km離れた他の民族の居住地域まで交易品を運んだ

このように犬が生活の中心にいたので、ニヴフ文化を犬無しで語ることはできませんよね。

もしこの動画を通じて新しく知ったことや、疑問に思ったことがあれば、お気軽にコメントお願いします。
参考として詳しく学びたい方のために、19〜20世紀を代表するニヴフ研究者と、その関連書籍をご紹介します。

19〜20世紀のニヴフ研究を代表する研究者

名前日本での通称生没年
Ерухим Абрамович КрейновичE.クレイノヴィッチ1906-1985
Bronisław Piotr Piłsudski (Бронислав Пётр Пилсудский)B.ピウスツキ1866-1918
Лев Яковлевич ШтернбергL.シュテルンベルク1861-1927
Леопольд Иванович ШренкL.シュレンク1826-1894

ニヴフ研究の書籍

著者書籍名(日本語や日本語版)出版年言語
クレイノヴィッチサハリン・アムール民族誌 : ニヴフ族の生活と世界観1993日本語
クレイノヴィッチニヴフグ―サハリンとアムールの神秘的な住民1933ロシア語
シュテルンベルクギリヤーク、オロチ、ゴルディ、ネギダール、アイヌ1933ロシア語
シュテルンベルクL. Y. シュテルンベルク収集・編纂
『ギリヤーク語および民俗研究資料』
第1巻 民間口承文学資料
1908ロシア語
シュテルンベルクギリヤーク1905ロシア語
シュレンクアムール地方の先住諸民族について 第1~4巻1883-1903ロシア語
シュレンク1854~1856年アムール地方旅行・調査報告 第1~4巻1858-1877ドイツ語
ピウスツキピウスツキ著作集第1巻 サハリン島先住民1998英語

上記の中で日本語で読めるものは「サハリン・アムール民族誌 : ニヴフ族の生活と世界観」のみです。
これはクレイノヴィッチが書いた「ニヴフグ―サハリンとアムールの神秘的な住民」を翻訳したものです。
私もすべての書籍を読んだわけでありませんが、電子書籍やPDFで読めるものが多いです。
詳しくは私のブログから文献リストのファイルをダウンロードしてご確認下さい。

さて、ニヴフ族の文化編のPart2では衣食住と対になる精神文化についてご紹介します。
信仰や祭り、伝統工芸などを通して、ニヴフ族の世界観に迫っていきます。
今後も価値のある情報を知りたいという方は、必ずチャンネル登録、高評価をお願いします。
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Ургун ӿумвве!(ニヴフ語:お元気で!)
それでは、また次回の動画でお会いしましょう。

参考サイト

https://multiurok.ru/index.php/files/kul-tura-koriennykh-narodov-sakhalina-i-kuril-kak.html

https://hgiik.ru/docs/articles/4000/4541/годовая выставка единство народов России.pdf

https://lib.kunstkamera.ru/files/lib/978-5-88431-259-3/978-5-88431-259-3_07.pdf

https://akmns-khab.ru/нивхи/

https://vk.com/wall-105483315_10154

https://multiurok.ru/index.php/files/kul-tura-koriennykh-narodov-sakhalina-i-kuril-naro.html