【永久保存版】ニヴフ族の歴史とは?流鬼の正体、ギリヤーク族、多民族社会の形成(YouTube動画の復習用)

アイヌ語 ニヴフ語 ロシア語 外国語学習

※本ブログページは私のYouTube動画の復習用のテキスト版です。
必要に応じて動画本編をご覧下さい。

https://youtu.be/iAvnIlP24sM

(動画で投影したスライドのPDF)永久保存版ニヴフ族の歴史

【永久保存版】ニヴフ族の歴史とは?流鬼の正体、ギリヤーク族、多民族社会の形成(YouTube動画の復習用)

Касказиве! 今回のテーマは「ニヴフ族の歴史」です。
こちらはニヴフ族の永久保存版解説シリーズとして、3本に分けた動画の一つです。
残りは文化と言語について投稿予定ですので、そちらも御覧ください。

【永久保存版】ニヴフ族の歴史とは?流鬼の正体、ギリヤーク族、多民族社会の形成(YouTube動画の復習用)

(以下の動画は準備中です。YouTubeのチャンネル登録・Xのフォローをしてお待ち下さい。)
【永久保存版】ニヴフ族の文化とは?犬ぞり、熊祭り、オホーツク文化(YouTube動画の復習用)
【永久保存版】ニヴフ語とは?他の言語との比較、学び方、自己紹介の表現(YouTube動画の復習用)

「なんでニヴフ族について解説すんの?」と思いませんか?
取り上げた理由は私が以前投稿したアイヌ語の成り立ちについての動画でニヴフ族やニヴフ語に関して、視聴者の皆様が不明点や興味を持ったと感じれるようなコメントを多数頂いたからです。

◯過去のアイヌ語関連の記事や動画

アイヌ語に関するブログ記事一覧

YouTube「理系の言語オタク 出口日向」アイヌ語の再生リスト


※YouTubeにはブログ化していない動画も含まれています。

両者(ニヴフ族とアイヌ民族)の関係を知らない人も多いと思いますが、下図の通り、歴史的に隣接していた時期があり、交易や文化的な交流をしていました。

(民族の画像については最も信頼できそうなものを使用しています。もし誤りが見つかった場合は適宜差し替えます。)

そのことを知っている人からの深堀りしてほしいというリクエストだと私は受け止めています。

残念ながら、ニヴフ族を含む極東の先住民族について体系的に紹介している情報が日本では非常に少ないことに気づきました。
だからこそ、言語オタクの私が多言語を駆使して徹底的に調べました。
最後まで見ていただくことで、あなたもニヴフ族やニヴフ語にかなり詳しくなれるでしょう!

本シリーズを視聴するメリットには以下の3つがあります。

◯本シリーズで得られること

1、ニヴフやアイヌの関係を事実に基づいて理解できる
  ▷過去に投稿したアイヌ語の成り立ち解明シリーズを補完

2、日本語で検索しても得られないニヴフ族の文化・歴史が分かる
  ▷漫画「ゴールデンカムイ」に登場するニヴフ族の濃い話も聞ける

3、ニヴフ語の学び方を徹底的に知ることができる
  ▷無料で使える教科書やアプリを紹介

なお、私はいずれの分野の専門家ではありません。
もし間違いや補足などがありましたら、コメントで教えてもらえると幸いです。
今回の内容を興味深いと感じていただけた方はコメント欄やラボトークでぜひ語りましょう!

チャンネル紹介

本題に入る前にチャンネルの紹介です。
70言語以上勉強中の言語オタクが理系的発想×語学ミニマリストの観点でマルチリンガルになるための楽しさや手法を発信しています。
過去にはこちらのような内容を投稿しております。

そんな私の夢は「全人類をマルチリンガル」にすることです。
そのため現在は”チャンネル登録者1万人”を目標としています。
マルチリンガルの勉強方法について気になった方や私の夢に共感できる人はお早めにチャンネル登録をお願いします!

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目次

  1. ニヴフ族とは?
  2. ニヴフ族と周辺の民族
  3. 歴史的な呼称の変遷
  4. ニヴフ族の歴史

ニヴフ族とは?

ニヴフ族はロシアの極東にあるアムール川流域とサハリン北部に暮らす民族集団です。
多民族国家であるロシアには180を超える民族がおり、彼らはその一員です。
2020年の国勢調査では約3,800人がニヴフ族と自認しています。
そして、ニヴフ語話者は高齢者を中心に10~100名ほどと見られています。

Речь на амурско-нивхском языке(アムールニヴフ語でのスピーチ)

Проект Института языкознания РАН - Малые языки России - Нивхский язык(ロシア科学アカデミー言語学研究所 - ロシアの少数言語 - ニヴフ語)

ニヴフ族と周辺の民族

後ほど紹介する歴史や文化を理解しやすくするために周辺の民族についての系統や位置関係を図で見ていきましょう!
下図は19~20世紀頃の極東地域における民族の分布を示したものです。

あくまでも歴史的な位置関係を把握するためのものなので、21世紀の分布と一致しない点があることはご留意ください。
上図の通り、ニヴフ族の周辺にはツングース系の民族やアイヌ民族が存在しています。

これらの民族は地理的に近いものの、それぞれ系統の全く異なる民族です。
民族の系統について国際的に明確な定義はありませんが、「言語系統」が基準となることが多いです。
また過去に異なる文化や言語を有していたという歴史的な認識や当事者の自認も系統分類の根拠になります。
なお、各民族の言語の具体的な違いについては今後のニヴフ語解説の動画でご紹介します。

この動画では様々な民族名が登場しますので、この図を参照しながら、ご視聴ください。

Языки России: сотни лет вместе(ロシアの言語、数百年にわたる共存)

https://titus.uni-frankfurt.de/didact/karten/sibir/sibirim.htm

https://en.wikipedia.org/wiki/Template:Distribution_of_languages_in_the_world

Интерактивный атлас коренных малочисленных народов Севера, Сибири и Дальнего Востока: языки и культуры(北方・シベリア・極東の先住民族の言語と文化に関するインタラクティブ地図 - ニヴフ族、簡単な歴史的背景)

みんぱくリポジトリ - 近現代のアムール川下流域と樺太における民族分類の変遷

歴史的な呼称の変遷

ニヴフ族の歴史をおさえるために欠かせないのが歴史的な呼称です。
まずнивх(nivkh,ニヴフ)という呼称は20世紀から世界中で使われています。
これはニヴフ語アムール方言で「人」を意味する単語нивхに由来する自称です。

ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、ニヴフ族の呼び方は国や時代によって様々です。
今後、歴史資料を調べていく中でも、複数の呼称が混在している可能性が高いと思います。
そのような混乱を避けるために、これまで確認されている呼称を言語別・時代順に整理し、語源についても考察を加えました。

中国語ピンイン表記推定語源使用された年代日本での通称
流鬼liúguǐニヴフ祖語 *n’iɣvŋや *n’ivɣŋ7~8世紀(唐代)リュウキ
吉里迷jílǐmíツングース語族 gile13~17世紀(元代~明代)ギリミ
乞烈迷qǐlièmí中国語 吉里迷13~17世紀(元代~明代)ギレミ
乞烈宾qǐlièbīn中国語 吉里迷14世紀(元代)
费雅喀fèiyǎkā満州語 ᡶ᠋ᡳᠶᠠᡴᠠ17~20世紀(清代)フィヤカ
飞牙喀fēiyákā満州語 ᡶ᠋ᡳᠶᠠᡴᠠ17~20世紀(清代)フィヤカ
非牙哈fēiyáhā満州語 ᡶ᠋ᡳᠶᠠᡴᠠ17~20世紀(清代)フィヤカ
尼夫赫nífūhèロシア語 нивх20世紀

※読み方は現代の標準中国語のピンイン表記のため、当時の発音とは異なる場合があります。
※「流鬼」がニヴフ族であるという具体的な根拠は後述しています。

満州語ローマ字転写推定語源使用された年代日本語読み
ᡶ᠋ᡳᠶᠠᡴᠠfiyaka(未調査)17世紀フィヤカ

※満州文字は本来縦書きです。また「アムール川流域に住む住民」の意味合いが強いようです。

ロシア語ローマ字転写推定語源使用された年代日本語読み
гилякgilyakツングース語族 gileや中国語 吉里迷17世紀ギリヤーク
гилякиgilyakiロシア語 гилякの複数形17世紀ギリヤーキ
нивхnivkhニヴフ語アムール方言 нивх20世紀ニヴフ
нивхиnivkhiロシア語 нивхの複数形20世紀ニヴヒ
アイヌ語推定語源使用された年代日本語読み
nikubunニヴフ語サハリン方言 ниғвӈ19世紀ニクブン
sumerenkurアイヌ語 sumari「狐」+ kur「人」19世紀スメレンクル

※19世紀の間宮林蔵らがおこなった樺太探検の際に、アイヌ語・日本語での呼称が記録されています。

日本語推定語源使用された年代
ニクブン、ニクフンニヴフ語サハリン方言 ниғвӈ17世紀
スメレンクルアイヌ語 sumerenkur19世紀
ギリヤークロシア語 гиляк19世紀
ニヴフニヴフ語アムール方言 нивх20世紀
ニヴヒロシア語 нивхの複数形の нивхи20世紀
※上記以外の呼称も存在しますが、使用頻度は低いと判断したものは割愛しています。
※7世紀頃の日本書紀などに記載のある粛填(みしはせ、しゅくしん)はツングース系の民族やニヴフ族の説などがあります。
 客観的に判断できる証拠や根拠がなく、特定には至らなかったので図には入れていません。
※もし間違いがある際にはYouTubeのコメント欄で教えていただければ、ブログのほうを修正します。
Речь на амурско-нивхском языке(アムールニヴフ語での語り)

http://hkuri.cneas.tohoku.ac.jp/

https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900023326/KJ00004166016.pdf

https://www.digital.archives.go.jp/gallery/0000000526

新唐書 -> 列傳第一百四十五 東夷(流鬼-7世紀)

通典 -> 邊防十六 -> 流鬼(流鬼-8世紀)

金史 -> 志第五:地理上(吉里迷-13世紀)

元史 -> 卷九十八(乞烈宾-14世紀)

https://zhuanlan.zhihu.com/p/35753861

https://rushrono.ru/sever_people_mzver.html

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_life.html

https://note.com/0908shikano/n/n760a11d19a41#c97ac9df-3f27-4d89-9a71-0cac21b5bd0c

https://en.wiktionary.org/wiki/Nivkh

https://en.wikipedia.org/wiki/Nivkh_people https://zh.wikipedia.org/zh-cn/黑龙江历史

上記の中で歴史的に知られている呼称には「吉里迷(ギリミ)」、「乞烈迷(ギレミ)」、「ギリヤーク」などがあります。
日本でも古い書物や一部のサイトではその呼称が用いられていることがあるため、覚えておいてよいでしょう!

ちなみにこの呼称はニヴフ語ではなく、ツングース語族の gilɛ(「舟」を意味する単語)に由来すると考えられています。
単語の正確な意味は「六組(最大12名程度)で漕ぐ大型の手漕ぎ舟」を指すようです。
10名程度が乗れる舟と考えると意外と大きく感じるかもしれませんね。

「そんな大きい舟、何に使っとたんやろ?」と思いませんか?

実はニヴフ族は古来より舟を用いて漁労のほか、銛や網を使ってアザラシやイルカなどの狩猟を行っていました。
このように彼らは舟を生活の中心に据えていたことから、「舟人」あるいは「船を漕ぐ人」を意味する呼称が定着したと推測されています。

https://dzen.ru/a/Z-fGxR0KnVzmGeZ3

ニヴフ族の歴史

ニヴフ族の歴史は限られたものしかありません。
というのもニヴフ族は19世紀まで独自の文字を持たなかったからです。
主に残っている記録は日本、中国、ロシアによって書かれた断片的なものです。
(専門用語で「歴史資料の非対称性」と呼ばれます。)

下図は歴史の流れを簡潔にまとめたものです。
ここでは日本語で探しても見つかりにくい情報やWikipedia等に掲載されている内容だけでは不十分な視点を私が補足します。

世紀出来事
7640中国の文献に「流鬼」という民族が登場
13-141264–1308モンゴル帝国との同盟を結ぶ。アイヌ民族との衝突(モンゴルの樺太侵攻)
171644-1646ロシア帝国によるアムール川流域やサハリンでの民族の記録が始まる
171689ネルチンスク条約以降、清の属国となる
17-191680–1868ニヴフ、ウリチ、アイヌ、松前藩らで山丹交易を行っていた
191808-1809間宮林蔵らがサハリンやアムール川流域を探検し、ニヴフ族と接触する
191800年代ロシア帝国と大日本帝国、中国がアムール川流域やサハリンの領有権を主張
201945第二次世界大戦後、日本管轄下にあった南部サハリンのニヴフ族100名ほどが日本へ強制移住
201930-現在ロシア政府や民間によるニヴフ文化の保護を進めている
https://xn--80atoqz.xn--p1ai/materials/254508/samobytnaya-rossiya-nivkhi

https://ehrafworldcultures.yale.edu/cultures/rx02/summary

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_history.html

https://www.ne.jp/asahi/kaneko-tohru/languages-nowar/NIVKH.pdf

https://hes.official.jp/images/kaishi_pdf/08/08-12houkokunakamura.pdf

https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=225118

https://www.britannica.com/place/Amur-River

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/category/categoryArchives/0400000000/0403020000/01

https://akarenga-exhibitionguide.pref.hokkaido.lg.jp/gallery/b1f/gallery02/02/

https://www.hiroki-ru.work/entry/20210103/1609664678

https://zh.wikipedia.org/zh-cn/蒙古征服库页岛

では早速、上図の7世紀と17~19世紀の歴史について補足していきます!

7世紀:中国の文献に「流鬼」という民族が登場

中国の唐の時代において編纂された「通典」と呼ばれる文献等に「流鬼」と呼ばれる民族が記載されています。
その記述内容から、彼らをサハリンのニヴフ族とみる説や、カムチャッカ半島のイテリメン族とみる説など、いくつかの説があります。
現在では、考古学的知見を中心にニヴフ族とみなす説が有力とされています。
もし流鬼=ニヴフ族説が正しければ、7世紀の時点でサハリンにニヴフ族がいたという証拠になります。

この説について言語学的な観点から検証します。
その結果、私は「流鬼」はニヴフ族を指す名称であると確信しています。
検証内容は以下の通りです。

◯言語学的観点からの「流鬼=ニヴフ族」説の検証
・中古中国語の発音
7世紀頃の中国語は「中古中国語」と呼ばれ、現代標準中国語とは発音体系が異なる。
中古中国語 流鬼 ljuw kjw+jX
現代標準中国語 流鬼 liú guǐ

・ニヴフ祖語で「人」を意味する単語
現代ニヴフ語と再建された祖語では「人」および「人々」を表す語は次の通りである。
ニヴフ祖語 *n’iɣvŋまたは*n’ivɣŋ「人」
ニヴフ祖語 *ku「(名詞の複数形)」
アムール方言 нивх [ɲivx]「人」+ гу [gu]「(名詞の複数形)」= нивхгу [ɲivxgu]「人々」
サハリン方言 ниғвӈ [ɲiɣvŋ]「人」 + гун [gun]「(名詞の複数形)」= ниғвӈгун [ɲiɣvŋgun]「人々」

・音声学的な事実
現代ニヴフ語の語頭音の н [ɲ]と、[l]は音声学的に調音位置が近い
[ɲ]は日本語の「ニャ」に近い音であり、[l]は現代中国語や英語のLとほぼ同様の発音である。

・中国語諸方言における語頭NとLの混同
中国語方言である西南官話方言(四川方言・湖南方言・湖北方言など)のほか、閩南語や広東語の一部では語頭の[n]と[l]の区別が曖昧になる現象が知られている。
唐の都である長安(現在の陝西省)はそれらの使用地域とも隣接しており、古代においても同様の音変化が存在した可能性がある。
また、この現象は該当の方言話者が外国語を話す際にも見られる。
語頭のLがNになる例:荔枝「ライチ」 標準中国語 lìzhī、四川方言 ni4 zi1、閩南語 nāi-chi ナイチ

・結論
上記の根拠や分析から、中古中国語「流鬼」はニヴフ祖語「人々」の単語を転写したものと考えられる
https://edoc.uchicago.edu/edoc2013/zh_digitaledoc_linearformat.php

Fortescue Michael D. Comparative Nivkh Dictionary Lincom (2016)

https://www.frontiersin.org/journals/communication/articles/10.3389/fcomm.2021.639390/full

https://en.wiktionary.org/wiki/荔枝#Cantonese

https://zh.wikipedia.org/zh-cn/西南官话

難しいことを言っていますが、要約すると以下の通りです。

・古いニヴフ語の「人々」の単語と流鬼は発音が似ている
・それぞれの言語の特徴から再現性がある一定の対応が見られる
・つまり、流鬼はニヴフ語の「人々」の転写である

これはおそらく当時の中国の人が「あなたたちは誰ですか?」と尋ねた際に、
当時のニヴフ族は「私たちは人間です。」と答え、それを書き留めたものが「流鬼」だったのでしょう。
同様の事例はイヌイットやアイヌという民族の呼称にも見られます。

なお、この仮説の根拠を調べている過程で、私と同じような発想でより詳細な理論を構築している中国の論文や資料も偶然見つけました。
日本ではあまり知られていないようですので、関連する説と合わせてブログにまとめています。
興味のある人は後ほど動画概要欄からご覧ください。

新唐書 -> 列傳第一百四十五 東夷(流鬼-7世紀)

通典 -> 邊防十六 -> 流鬼(流鬼-8世紀)

https://www.docin.com/p-1120909893.html

https://d.wanfangdata.com.cn/periodical/hljmzck200906021

17~19世紀:ロシア帝国によるアムール川流域やサハリンでの民族の記録が始まる

最後に17~19世紀頃の状況について補足します。
この時代にようやくロシアや日本による探検活動が盛んに行われ、ニヴフ族の営みが具体的に記録され始めました。

この時代のニヴフ族について注意点があります。
あなたは「ニヴフ族」について、単一の遺伝子、言語、文化、歴史を共有している集団と思っていませんか?

一般的に民族と言えば、そのような感覚かと思います。
しかし、当時のニヴフ族はそうではありませんでした。
彼らは他の民族と混血し、複数言語を使用していたほか、複数の民族の文化が混ざり合っていました。
つまり、ニヴフ族は多民族性溢れる集団だったと言えます。

現代のニヴフ族の成り立ちを理解するために多民族性について理解することが重要になってきます。
この事実は日本語のサイトには記載がないか、不確かな情報しか載っていないため、誤解する人もいるかもしれませんね。

そこで私がロシア語で得た情報を元にニヴフ族の多民族性ついて大きく3つに整理してご紹介します。

・17世紀頃に周辺に居住していた民族
・共同社会
・ほかの民族との混血

◯17世紀頃に周辺に居住していた民族
まず、居住地域と民族の種類と見ると、現在と過去では大きく異なっています。
17世紀にアムール川流域およびサハリンに居住していた民族は以下のように記録されています。

◯17世紀頃のアムール川およびサハリンに居住していた民族

・アムール川流域
サハリンニヴフ(後のアムールニヴフ)、ツングース系の民族(満州族、ナナイ族、ウリチ族、ネギダール族、エヴェンキ族、ウデヘ族など)、サハリンアイヌ(樺太アイヌのことで、後のアムールアイヌ)

・サハリン
ニヴフ族、ツングース系のウイルタ族(オロッコ族)、樺太アイヌ(サハリンアイヌ)

上記の通り、いずれの地域にも大きく分けてニヴフ族、ツングース系の民族、アイヌ民族という系統の異なる3つ民族が同居していました。
さらにボリス=ドルギフ氏の「17世紀におけるシベリアの人々の氏族と部族の構成」という書籍では民族別の人口といった詳細な記録や情報が書かれています。

Кроме того, вне русских владений, по смежеству с Албазинским уездом, жило около 1400 сахалинских нивхов, около 3 тыс. сахалинских айнов и около 4 тыс. предков современных ороков, орочей и удэгейцев.
「さらにロシア領外、アルバジン地区の周りには約1,400人のサハリンニヴフ人、約3,000人のサハリンアイヌ人、および現代のオロク人、オロチ人、ウデヘ人の祖先の約4,000人が居住していました。」

※アルバジンは現在ロシアのアムール州にある17世紀頃に使われていた要塞のことで、極東におけるロシアの最初の入植地
※サハリンニヴフは現アムールニヴフの祖先
※サハリンアイヌは樺太アイヌのことで、区別する場合はアムールアイヌとも呼ばれる
Б.О.ДОЛГИХ РОДОВОЙ и ПЛЕМЕННОЙ СОСТАВ НАРОДОВ СИБИРИ в XVII ВЕКИ

上記からアムール川流域には複数の民族が数千人単位で居住していたことが分かります。
ここでアムール川流域に住んでいた民族の呼称に違和感がありませんか?
サハリンニヴフと記載されており、アムールニヴフと記載されていません。
もしアムール川流域に長年居住していれば、普通はアムールニヴフと呼びそうですよね。

これはサハリンアイヌについても同様のことが言えます。
このことから、サハリン島を中心に暮らしていたニヴフ族や樺太アイヌがアムール川流域へ居住する人も出てきていること、
そして、その月日がまだ浅いことを示していると私は考えます。

つまり、この時期には民族の移動が活発になり、数百年で民族の多様性が増したと言えます。
ここまでがこの後の話に関係する民族のご紹介でした。

https://dalgeotour.com/jp/regions/amurskaya-oblast/

https://ru.wikipedia.org/wiki/Долгих,_Борис_Осипович

◯共同社会
次は共同社会についての話です。
先程、民族の移住についてお話しましたが、
「そんな好き勝手移住したら、民族同士での争いとか起きひんの?」と思いませんか?

もちろん、全く起こらなかったわけではないようです。
もしそのような大規模な衝突があったのなら、この頃はニヴフ族について記録され始めた時期ですので、歴史に残っているはずですよね。

大きな争いを回避できた理由は次の2つです。
1つ目の理由は当時のコミュニティの規模に対して、オホーツク海沿岸には豊富な海洋資源があったからです。
2つ目の理由は慣習法による資源共有、つまり民族同士の共通の決まり事として、漁場や狩猟地の資源を共有する仕組みがあったからです。
これらの条件が成立していることで、資源の独占が防がれた結果、民族間の協調を維持するように機能していたと研究者は考えています。

実際に疫病や洪水などの自然災害で移住が必要なった場合も、概ね受け入れられていたと記録されています。
またニヴフ族はツングース系の民族やアイヌ民族のような他の民族と同じ村で共同生活を営んでいたとも記載があります。

このような共同社会が継続した結果、異なる民族間での技術・文化の交流が促進された可能性があります。
これによって何が起きたかをさらに詳しく見ていきましょう!

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_history.html

◯ほかの民族との混血
最後は多民族性の観点についてあまり知られていない話ですので、補足します。
これまでニヴフ族が周辺の多民族と共生していた事実を確認してきました。
この多民族との共生の結果、ニヴフ族は一つの民族だけで閉じた集団ではなく、複数の民族と混血した集団となっていきます。

それを具体的に示しているのが当時の「氏族」に関する記録です。
「氏族ってそもそも何やねん!」と疑問に思う人もいるかもしれませんね。
簡単に説明すると以下のとおりです。

◯氏族とは?

民族より小さい規模で、血縁を中心とした親戚や一族のこと
必ずしも全員に血縁関係があるわけではなく、婚姻などにより他の民族出身者が加わることもある

そして、ロシアに現存する記録によると、ニヴフ族の氏族について次の記載がありました。

◯17世紀のニヴフ族と氏族についての記録

・ニヴフ族の氏族の中にはツングース系の民族やアイヌ民族など異なる出自を持つ人々が含まれていた
・別の民族の氏族の中にニヴフ族に由来する氏族が存在していた

以上の記録から、他の民族と混血した人々が一定数存在していたことが分かります。
つまり、当時のニヴフ族の氏族は純粋な単一民族ではなかったということですね。
なお、前述のニヴフ族の人口を参考にすると、数十から数百名規模の一族の集まりと思えば良さそうです。

https://atlaskmns.ru/page/ru/people_nivhi_demography.html

https://www.kunstkamera.ru/files/lib/978-5-88431-259-3/978-5-88431-259-3_03.pdf

以上のように17世紀の歴史の補足として、以下の3つの観点で解説しました。

・17世紀頃に周辺に居住していた民族
・共同社会
・ほかの民族との混血

これらは次の動画でご紹介するニヴフ族の文化とも密接に関係していますので、必ず抑えておきましょう!

ニヴフ族の歴史 まとめ

最後は簡単にまとめと次回予告をします。
今回はニヴフ族の概要、歴史を理解するために欠かせない周辺民族や呼称、そして記録されている歴史についてお話しました。

  1. ニヴフ族とは?
  2. ニヴフ族と周辺の民族
  3. 歴史的な呼称の変遷
  4. ニヴフ族の歴史

もし感想・気付き・質問・リクエストなどありましたら、どしどしコメントお願いします。

そして、次の動画ではニヴフ族の文化についてご紹介します。
実は今回の歴史の話に収めることができなかったオホーツク文化についてもそこで触れます。
これは北海道やアイヌ民族の歴史にも関係する興味深い内容ですので、お見逃しなく!

最後にチャンネル紹介です。当チャンネルのキャッチフレーズは「今日からあなたもマルチリンガル!」です。
全人類マルチリンガルを目標に、現在はチャンネル登録1万人を目指しています。

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